2013年12月18日水曜日

そこにある暮らし

福岡でおこなわれている全国自立生活センター協議会の全国集会に参加中。
昨日は「ナナメの運動」と題され、映画「標的の村」上映と映画にも登場される伊佐さんと現在の障害者運動で中心的な役割を担っている方たちとの語り合いがあった。
沖縄の高江で起きている現状から日本の社会構造を見て、障害者問題との共通項をあぶり出し、それぞれのこれからに活かすには?といったような話し。

他分野と繋がっていこうという企画者の思い通り、講演後に新たなつながりとコトの始まりが起きていたので、見ていて嬉しくなった。

戦後67年の中で初めて普天間が県民の人間の鎖に囲まれた翌日、本土の新聞は一体何を一面に取り上げていただろう?と改めて気になった。本土と沖縄タイムスや琉球新報の温度差は大きい。

一人目の質問者も同様の感想を述べられていたけれど、
安保、三里塚、水俣、ハンセン病、上関、福島、障害者、
等々これらにみられる近似した社会問題の構造。
不毛な流れをどうしたら止められるか?という問いへの答えは、
「あきらめないこと」だった。

数年来高江のヘリパッド問題で動かれている伊佐さん、
福島原発爆発事故におけるずさんな対応、熟議なきTPP加盟、特定秘密保護法強行採決、それら氷山の一角における権力側の近視眼的行動への意見行動が大きくなる前から地道におこなわれ続けている当事者主体による日本の障害者運動を担っている人たちが言う「あきらめない」は重みがあった。

そしてその想いが、分野をこえてつながり広がっていく現場を昨夜見ることができた。
社会とはヒトの繋がりなのだから、
土台となる足許がつながれば、大きな力にも耐えうる構造が築かれると思う。
そしてその土台はデンマークで感じた風土に通じるはず。
それには「あきらめない」ことが肝心

ブラックツーリズム

Kさんから唐突に、件名はもちろん時候の挨拶も他愛ない一言もない本文だけのメールが届くことはよくある。
今回も、福岡滞在中のさなかそんなメールが届いた。
ブラックツーリズムと題されたそれは、日々の記録の中の一つだと思う。

「ブラックツーリズム:歴史は、光景を観た者の心に残るかぎり、消えない。歴史から学ぶ謙虚さは、どの時代にも人々を救った。戦争の悲惨さは、経験しない若者も当時の光景を観ることで学ぶ。学んだ若者は、戦争の痛みを知って、平和を願うようになる。思い返すと、各地のブラックツーリズム現場を見てきた。長崎・広島原爆記念館、ハンセン病院、筋ジス病院、ソウル625南北戦勝記念館とテグ抗日記念館、まだ行ってないのは、ポーランドのナチ収容所、松代防空壕、福島第1原発、ハノイ地下壕。それは、自分の運命にどのように対処するかを探る旅でもあった。もちろん、各地の美しい自然も一般の人たちもすてきであった。しかし、旅で印象に残っているのは、やはり私の思想と人生観に影響を与えたブラックツーリズム観光地であった。」

3年くらい前にKさんに連れられ宮古島にあるハンセン病療養所「南静園」へ行った。
行く前日にハンセン病にまつわる歴史が書かれたぶ厚い辞書のような本を渡され、
「行って何かを感じたいならこれくらい読めるでしょう」と、試されているようでもあった。

白眼視を利用した国側の工作、生命の尊厳をも奪い取る断種、臭いものには蓋をするような隔離、
ほんの数十年前におこなわれたことにもかかわらず、そんなことも知らずにのうのうと「イマ」を生きている気になっていた自分。
社会の無情さと、自身の無知を恥じながらの訪れとなった。

しかしその場にあったものは、
書に記されていた史実から受けた印象とは異なるものだった。
元患者の人たちは優しかった。
史実は事実だが暮らしの中の一面であることも事実であった。

手と足を使って感じるそこに在るものは、自分のいたらなさを映してくれる。

2013年12月12日木曜日

バイオミミクリーに見るヒトの謙虚さと、餓鬼のままごと政治

「私たちは天才に囲まれている」

自然と向き合う暮らしの中で哲学が生まれた理由がわかる。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/janine_benyus_biomimicry_in_action.html

そして東ティモールの賢人に学ぶ。

それに引き替え与党議員の愚かさはなんなのか。
かといって野党議員に期待するつもりもない。
日本の政治の現状こそが「今は憲法を変える時ではない」と明確に示している。
力を履き違えた権力者を縛る憲法を、権力者にとって都合の良いように緩める必要なんてない。それに準ずることも。

「護憲派」か「改憲派」かなんてどうでもいい。
右か左かぐらいどうでもいい。
イデオロギーの対立ごっこをする時代から成長しなければ。
今は憲法を変えられるような時ではない。
そう思う。

2013年12月7日土曜日

2013.12.6

古ゞ屋の長坂さんに、地元中学校の校長、教頭とお話しをさせていただく機会を作ってもらえました。
元々、老若男女、障害のあるなし関係なく人が集う場を作りたいと思っているので、
中学生(若者)と接点をもてるようになれる足がかりをいただけて本当に嬉しいです。

暮らし易い地域を作っていくには子ども達の声も不可欠。
排除するのではなく、多様性を認め合うことが豊かな社会の土壌を形作る。
福祉先進国も、環境先進国も、成熟した民主主義も、その土壌の上に咲く花だと思う。

12/7に間#5を開催することは、
生徒の皆さんにとっては前日の急な知らせになってしまったので
たとえ一人でも来てもらえたら嬉しい。

さっき帰宅し特定秘密保護法が強行採決されたことを知りました。
法案には勿論反対ですが、法案の是非以前に、
こんなに酷く醜いやり方で日本の民主主義を否定した大人達を、
ぼくたちが「子ども」と呼ぶ中学生はどう見ているか、
そんなことも明日の「間」では取り上げてみたい。

現政権与党である自民党と公明党の醜態、
そこに甘い汁を求めた維新の会とみんなの党、
そういった状況を許してきた政治の話しを嫌厭する未熟な社会。
それでは駄目だと試行錯誤し、先人から学び、次代のことを考えつながり始めた動きは、そんな簡単につぶされないと手応えを感じる。

20年ぶりの母校でした。


2013.12.7(土)
間#5 松本英揮氏・地球のスライドショー 自転車で世界を旅する英揮さんの環境とまちづくりのお話し
会場:古ゞ屋柏原西町 (滋賀県米原市柏原2120)
open 17:30 start 18:00 close 20:30
1,500円(1ドリンク・食事付き) 高校生以下無料
http://hitoma5.blogspot.jp/

2013年11月16日土曜日

入り口

棚田の水源「桶水」にお供えをしました。
ほんとうは稲穂のままの方が良かったのだけど、
ドタバタとしてやらず終いになっていた。
一家3人暮らしなので3粒。
この水が米を育ててくれた。
そしてその米を自分が食べる。
「米を作る」なんて口にするけど、作られるのはどちらなのかわからない。
一連の田んぼつくりはこれにて終了。
だけど、藁を田んぼに撒いた時から来年の米作りは始まっている。
途切れることのない命の育み。
終わりより始まる


2013年11月11日月曜日

手間と豊かさ

那須にある非電化工房で味わった「飲むまでに25分かかるコーヒー」
コーヒーの味も、匂いも、その手間をかける時間全体を味わう。

無農薬の生豆を煎るところから始まり、
どんなもんかこんなもんかと、豆とにらめっこ。

ゴリゴリとミルで挽く。
香る。
飲む。
味わう。

藤村さん曰く、
「コーヒーは挽くとどんどん酸化する。味も落ちるし身体にもよくない」

煎りたて挽きたてコーヒーを味わう時間を持てない
のは、何かおかしいのだろうと思う。
そうまでして時間に追い立てられるのはなぜか?と暮らしを見つめ直した方が良いのでは?と思う。

収入が減る。
ようするにお金は多いほうがいいという欲にかられているのだろう。
家族を養うのにそんなこと言ってられないと言われたら、
生きるってなんだろうね?と思う。

ぼくはそういう生き方をしたくないから、していない。
収入は大幅に減った。
だからなに?だ。


2013年11月8日金曜日

間#3 対談の間ー変わらぬものーを終え、あらためて再確認したいもの

百姓菩薩と呼ばれた松井浄蓮師が、機関紙「萬協」創刊号に寄稿された

「創刊の辞にかえて」 

終戦直後、自分は家内と子供六人をつれてこの比叡の山ふところへ入り、少しばかりの開墾をして新生活をはじめた。
そしてあくまで、我が民族のおかれている国際的な環境と、国内事情を厳正にみつめ、八千万分の一に徹するの決心、国民的覚悟を通じて、ひそかに抱きつづけてきているものがある。

それは現在、この地球上の人間、二十四億の人類が何に苦しんでいるか、そして、究極においてどのようなものを具体的に求めているかを、しっかりと、掴んでみたいということであり、これによって、この小さい自分自身の生活の方向づけを一つしてみようというのである。
これは実に容易ならぬ願望であるが、幸い家族の者が喜んで協力してくれるので全く遅々としてではあるが、豊かな気持ちで遥か行くてを楽しんでいるというところである。

今、世は挙げて不信と対立、混迷と焦燥をつづけており、闘争、冷酷、共食いと、これが世界を根深く支配している思想、政治、経済の近代的性格であるが、これはこれで、一部論者のいう如く、大きく史的発展を遂げんとする人類が、必然的に当面せねばならぬものと、一応解釈してみても、果たして次にいかなるものが約束されているであろうか。
抽象的に何かは描かれているようであるが、無論、漠然としたもので、これは未来に属することとして、霧中の彼方におかれているのはどうしたものか。
過去と現在を余すところなく的確に科学したものなら、来るべきものも明確に、具体的に示されるのでなければ、その真理性を信ずるのに躊躇を覚える。
さらばというて資本が物を清算するという方式によってのみが、人間の自由を保障するという考え方の過誤、行きすぎも、身をもって体験したことで、あまりに苦いものであった。自由を求めて不自由となり、開放を叫んで鉄柵をつくるの愚というても、なお、足らぬ思いのする生々しき現実相ではある。
しかし、時流に縋る以外に生きる道を失った大衆、大勢は、滔々として地球線上をおなじ坩堝と化さずんば止まぬものの如く、人間史の汚辱もまた極まるというのは筆者一人の感であろうか。
十億光年の彼方の青雲を測定し原子構造を解析する人間が人間自身を知らず、その外へばかり向けた眼、知恵でつくったもので自分が苦しみ、自己を破壊へ破壊へともって行く。 笑えぬナンセンス、世紀の悲劇というの他はない。

ちょっと、二三行をと思っていてうかうかと柄にもなく時運を嘆いてみたが、これはここでは余事である。浩瀚、世界文化史大系を成したウェルズをして晩年、"人類に絶望す"とまでいわしめ、ついに悶死させたという一事を想起すれば足りることである。

そこでまた自分の足許へ戻ってみる。
終戦直後、この山へ入ったのは今から考えてみて、全く本能的なものであった。この本能的なものの中に無限の感慨を覚え喜んでいるのであるが、こうなってみて、かつて気づかなかった一つの拾いものをしたことを特記しなければならぬ。

それは他でもない、自然観の再認識とでもいうてみたいものである。
詩人の歌った自然、宗教家の体験した自然、科学者の究明した自然、ともに美しく尊いもの、あるいは真理といわれるが如きものも、かつて、我々は多くこの中から教わった。ところがなんぞ計らんその自然、大自然と自分が一つのものであったということである。
自然と自分、人間が別物でないという、この判りきった事実を再認識したという筆者を心ある人は笑われるかも知れぬ。しかし致し方がない。自分は今まで自然というものを無意識のうちに客体視して、それから離れ、幽霊の如く、宙に浮いていたものであったことを正直に告白しなければならぬ。
自然と自分は一つであると、この極めて平凡な、今更いうてみるのもおろかしきこの言葉のもつ内容が、生活的に、今の人間社会に失われているところに、何よりも第一の不幸がある。

これについてはいずれ稿をあらためることとして、ここにとりあえず強く提唱しておきたいことがある。それは他でもなく、この四つの島、狭められた国土に、総人口の約半数を占めるといわれる、世界にも類例少なき小農である。
いわゆる、世の進歩的指導者と呼ばれる人達によれば、これが一番日本の社会を近代化させる上において邪魔物であるといわれているが、筆者はまた別にみるところがあって、逆に、これこそ将来日本の顔となるものであり、大きくは世界の文運に対してなんらかの挨拶をするものであると確信している。
これは現在の世界を支配している思想、政治、経済の眼をもってしては、到底、見うるような軽々しい価値のものではない。
長い過去、いつの場合でも支配され、指導され、被治者的存在として、己も知らず他も知らずで過ごしてきたのであるが、一つの生活体としてこれだけは、今の世に毒されぬ処女性をもったものであり、次代を決定する人間文化を孕みかつ産むであろう生理を秘めて、未だお白粉気も知らぬのがこの小農である。問題はそれへの自覚であり、時代を追うての成長である。 

何か、創刊の辞をということで筆をとってみたが、もともと他に読んで頂き、研究してもらうような理論を考えている訳でもなく、どうした行きがかりか、時代苦、生きた人生道とでもいうようなものに、大袈裟にいえば一家をあげて体をかけているというだけのこと、そこで書くとなれば自然と、この眼でみる社会相、そしてこれへの在り方としての自分の身辺からというようになって妙な感じ、いささか憚りを思わぬでもないが許してもらうより他はない。

なんというても世界は、人類史を画するほどの転換期に立っている。今までの頭で見当のつくような簡単なものではない。いかに大きくみえても実体を知れば愚にもつかぬ人さわがせのものがあり、そうかと思うと、些細なことで決して見逃してはならぬ貴重なものもある。
近視眼的なものを去って、遠くを慮りつつ、刻々に手近なものから決定して行かねばならぬ時、心ある方達の切なる要望でこんなものが出ることになった。

ここ数回は責任もあり、少しいばって自分も書かせて頂くがゆくゆくは、会員の方達、ことに若い人達がご自分のものとして、奮って筆をとるようにしてお互いに磨き合いつつ、当面に処し、次代を背負うの具にして頂ければ何より有難いと思う。

(昭和27年3月執筆)

2013年11月7日木曜日

言霊

カンタ・ティモール上映会に向けて動いています。
先日京都での上映会に参加させていただいた際に聞いた、監督である広田奈津子さんから伝えられた映画の中心人物アレックスのメッセージ。
ぼくはそれを聞いてからだの奥底がふるえました。

文字にされているなら教えてくださいと頼んだところ、先ほどメールをいただきました。
映画と監督の声を楽しみにしていてください。 上映会は来春の予定です。

「…2011年5月、津波のすぐ後にアレックスに会いにいった時、彼等は特に原発事故のことを心配していて、「毎日祈っているよ」と言ってくれました。そして「僕たちは地下資源をめぐる戦争ビジネスに巻き込まれ、それを冷静に見てきた世代だから、原発の背景にいかにややこしいことがあるか想像している。でも日本の人たちはこの試練を乗り越えようと頑張っているだろうから伝えてください」と、この伝言を預かってきました。

『自分たちの仲間が10人にしか見えなくて、対するものが大きくて、巨大で、千人にも見えても、もしそれが本当に命に沿った仕事、命が喜ぶ仕事であれば、亡くなった人の魂がついていてくれる。それは千どころじゃない。
絶対に大丈夫だから恐れないで続けて下さい。仕事の途中で命を落とすことがあるかもしれないけれど、それでも大丈夫だから恐れないで下さい。
もしどうしても仲間が10人にしか見えなくなったら、ぼくたちのことを思い出して欲しい。 ぼくたちは小さかった。あの巨大な軍を撤退させることが出来たら奇跡だと笑われた戦いでした。でも最後には軍は撤退しました。
それは夢でも幻想でもなくて現実に起きたことです。見えない力も、ぼくたちを支えてくれました。どうか信じてください。』

http://www.canta-timor.com/

2013年10月8日火曜日

モノからヒトへ

早々に宿泊営業ができるようにしたい。
アイディアの域を越えないゲストハウスを具現化するか、民宿か。
不思議とヒトが集まってきてくださる。にも関わらず日帰りでは申し訳ない。

早朝の美しさ、
闇の美しさ、
東京にも、京都にもないものがここにはある。
五つ星ホテルにはないものがある。

モノからヒトへと価値の振り子が戻っていっていることを強く感じる。
その振り戻しは、いくら企業やそれに尾を振る政権が抵抗したところで止められない。
ヒトはヒトを呼ぶ。


ウチ開きか、半分空き家となっている家を使わせてもらうか。
来週、家主さんと別件で話す機会があるので一案として提案させてもらおう。

モノからヒトへ。
ヒトはやはりヒトなのだろう。
モノの世界の極みに住むような、欲しいモノはなんでも揃えられるといったようなヒトもヒト。
他者との交流にカネでは買えない価値を見出すヒトはいる。

モノではない、ヒトだ。
よりいっそう地に足をつけなければと思う

2013年9月16日月曜日

口が先走り、頭が先を転がり、身体は遥かうしろ

対談の間に向けて作っているサイトの情報提示の質の低さから、
他者の側に立って情報を伝えることの難しさや、
自惚れを知ることとなりました。

いい勉強になりました。

基礎をないがしろにして側ばかり装っていたんですね。
これはサイト構築だけにとどまらず、
自身の日々の視点そのものがそうだということ。

なにか浮かれていたのか。足元を見つめ直すいい機会となりました。
言葉ばかりが先走り、実体が追いついていなかった。
本当にありがたい指摘をいただけました。

しかし、まだ見えていないように思います。
起床後も据えることで、ロールシャッハの絵のように、
見えぬ我が身を見えるようになりたいです。


今は優が地図を作ってくれています
後ほど掲載します

http://hitoma3.blogspot.jp/

2013年9月13日金曜日

足元

最近はもっぱら活動のblogばかり書いています。

「対談の間」ー変わらぬものー

これは、アウトプットの割合が増えているということだと思います。

帰郷し一年と四ヶ月。
良い出会い、良きヒトとのつながりが圧倒的に多く驚くほどです。
本当にありがたい。

進む方向があっていることを指し示しているのだと思います。

もっとしっかりしなければ、と思う。
手と足を使わなければと。

2013年8月7日水曜日

実り

「大地を耕すことは、自らの心を耕すことに通じます」
麦の家の山崎さんにいただいた言葉。

穂が実りました。

畦作り、水路作りから手ほどきをうけながら始めさせてもらった田。
10年来の耕作放棄地ということで農薬や肥料の影響も無いに等しく、
また隔たれた棚田ゆえに念願の無農薬無肥料の自然栽培をおこなえています。

棚田のオーナーに初期の頃「自分にとって自然栽培とはなんですか?」
と、問われ「自然と一となることです」
と答えたのだけれど、
実際に畦作りをしている頃、はびこった葛の根と向き合い、
自然と対立している自分が見えた。
葛の根はそら厳しく、対抗するものではないと悟った。
昔の人はその「やっかい」な葛の根を、布にしたり食物にしたりと、
「ありがたいもの」に変えた。
その知恵に感服。

頭でなくて、手でくわをふるい、脚で大地を踏みしめ、
身体が考えてくれた「自分にとっての自然栽培とは、自分自身を耕すことだ」と。

その数ヶ月後に山崎さんから届いた葉書に前述の言葉が書かれていました。

経営としても成り立つ循環型農業である自然栽培の必要性や有用性は感じますが、
いまはまだただがむしゃらに大地を耕したいです

穂が実った稲や、すくすくと育つ作物をみると嬉しい。
鹿に食われても食われても育つ。
色んな虫に葉を食われても育つ。

父や母は育つ子供をどのように見るのだろう

2013年7月29日月曜日

モノ・カネ・コトからモノ・ヒト・コトへ

地元の夏祭りにて二日間出店させていただきました。
その場所となったのが、「ここや」さん
地域の活性化懇話会で知り合ったグループです。

人が集える良い場所を作ってくださいました。
あとは地域の中からも「活用」の声があがりこの場を活かすことで、
地域全体の活性化にもつながっていく。
恊働、共生、共育。

活性化とは、棚から牡丹餅ではなし得ず、
各々が受け身ではなく主体となって自発的に動いている状態、
連続した状態となって言えることだと思います。

ぼくも「こんなことしたいのだけど使わせてもらえる?」と聞きに行こう。
あれやこれやと浮かんでいるので具体的につめていく。近日中に。

今回ここやさんの一角で売らさせてもらったのは、
姉の手作りビスコッティと、
地元の谷でもぎってきた無農薬の梅ジュース。
使い捨ての物(紙コップとか)は極力使いたくないので、ここやさんにガラスコップをお借りしました。

姉のお菓子を売ろうと思ったのは、
「お金儲けできそうな場所ができたから」
ではなく、
ヒト・モノ・コトが有機化できると考えたから。
小さな一歩一歩。それが分相応であり自然と言うもの。

自然栽培で育ったような生命力溢れる地域への一歩

ここやさんのホームページ
http://kokoyamaibara.wordpress.com/

2013年7月14日日曜日

体感

長老に会ってきました。

京都3F PROJECT ROOMでおこなわれた「かぜたび編集長佐伯剛氏と写真家北義昭氏のトークイベント」
佐伯さん、相変わらず面白く生命力に溢れ強烈な個性。 何かを語られるにしても、表層と積層だけでなく生命原理にまでおよぶ思索の旅。
脳みそを揺さぶられました。 

対峙すると得られるほどよい緊張感。身体が反応している 二次元でも四次元でもない超ひものような世界が言葉で紡がれ、聞きたいこと知りたいことは沢山あるはずなのに、 質問すること自体がどうにも枝葉末節に思えてしまう。 感じて動けば良いと。
ふだん夢なんて見ないし憶えてないのに、その夜は夢にまで佐伯さんが出てくる始末。
泊めてもらった姉家族の家から帰宅すると極度の眠気と未体験の長時間金縛り。

日本にも長老という存在がコミュニティにいた時代があったと思うが、 恐らく似たようなことを肌で感じていたのだろうなあ。 問答無用の差というか。 現代社会で言う「長」とは異質。存在も選出方法も、そう思う。 頭で決める平等や不平等なんかではない生命体としての明らかな差異から必然的に決まる立ち位置。
地元に来ていただけるのは嬉しい限りだけど、受け皿となる「場」は一体どうすれば良いのか。 鹿を囲い込む檻どころではない。

家に転がっていた雪駄が傷んできたので草鞋を作ろうと思っているのだけど、それを一緒にやってもらえないだろうか。
草鞋は靴の技術が無かったから生まれたのではなく、自然と向き合う生活の中の知恵から生まれたもののはずで、そこには地域性や人と人との暮らしの関わりがあるはず。
人と自然の関わりがあって、編む際にはおしゃべりしながらといった人と人との関わり合いがあったと思う。
現在ワークショップで意図的に作られる「場」が、普遍的なものとして存在していたのではないか。

草鞋作りを通して「場」を語っていただく?
場所は麦の家で、草鞋の指導は山崎氏(草鞋作りがお出来になれば)。
まず始めに両者からそれぞれの場について語っていただく。 山崎さんから麦の家のこと、 佐伯さんからは風の旅人のこと、 そして草鞋をしながら生命の本質について語ってもらおか。。 うーむ、要熟考。

イベントの前は、以前から行きたかった河井寛次郎記念館へ。 よくある資料館のようなものを想像していたので、 登り釜もある窯場が邸内にあることに驚きました。
建物、景色、小道具、建具、仕事道具どこをどう切り取っても素晴らしく美しかった。
その後に街中でみる「アート」と称されるものとは一線を画し、 氾濫するえせアートの汚さが際立った。それはトークイベントの会場に展示されていたものもしかり。

河井寛次郎さんが作り出した「場」と佐伯さんが醸し出し作り出す「場」、 その二つに五感が震える一日でした。 それができたのは姉家族の協力のお陰です。感謝 http://www.kanjiro.jp/

田畠

田を始めました
念願の。
畑も。
自然栽培です

畦作りから一通りさせてもらっています。
厄介な葛の根。
その葛を活用した昔の人の知恵。
面白い。

来年は一反を開墾から。





モノ・ヒト・コト

集いの場を設けることを始めました。
今二回の手段は自主上映会でした。

人間社会は人と人の集まり。対話は人間社会の礎。

第一回
「六ヶ所村ラプソディー」
http://habirokkasyo.blogspot.jp/

第二回
「パワー・トゥー・ザ・ピープル」
http://pttpwtnbttgtn.blogspot.jp/


次回の自主上映会はカンタ!ティモーレが有力候補ですが、
その時はカンタに呼応した音楽家の方に想いを演奏で表現してもらうと面白いかなと目論んでいます。 
ですが、次回の集いの場は自主上映会ではなく、 認知症当事者のQOL向上にむけて周囲の人間、とりわけ一緒の時間を多くすごす「家族」ができることを学ぶ場を開くかもしれません。
ぼく自身、認知症である母と向き合い過ごす日々から肌で感じる「触れる」ことの大きさ、ただ傍にいることの大きな意味。 テクニカルなことは表層的になりがちですが、そうではなく人が生きることの本質と向き合えるような内容にしたいです。
それがタクティールケアとパーソンセンタードケアの学習会なのですが、まだ案だけです。「資格取得のための勉強」と同一視されたくない(既にされている)ので要熟考です。

それか、わらじ作り。もしくはペチカ型ロケットマスヒーター作りのワークショップ。 さーて何しようかな

2013年7月4日木曜日

社会を変えると言う傲慢

一年半?ほど前から、福島県田村市在住の方に野菜を何人かの人に協力してもらいながら送っています。
野菜の栽培と発送は、長野県で在来種の無農薬栽培されている農家民宿の方に。
届け先は、地域で福祉のまちづくりをヴィジョンに活動されている方。

この流れをぼくを含め何人かの人にお金で協力してもらって続けています。
関わっている人は誰かを介してつながっています。
ぼくは全員、知った人。目の届く範囲内です。この距離感は大切にしたい。

「日本」がどうの、「社会」がどうの、と大きな単語を使うとどうにもぶれる。
つまるところ成熟した民主主義は自立した個の集まりで、社会に蔓延している依存指向から脱して独立独歩を目指すことが必要。
なんてことを言ってるだけでどうなるのだろう。
社会がどうなろうと一個人、一家族を大切にすることから始まる。
自分の足元からできることをやるだけ

今年初の発送通知が届きました。感謝
「インゲン 150g ¥200
大根  3本 ¥450
玉葱  1キロ ¥300
キャベツ  2個 ¥400
きゅうり  2本  ¥100
ズッキーニ  2本  ¥300
ジャガイモ  2種類 2キロ  ¥650
送料   ¥600 合計  ¥3000」

以上を、福島の人の仲間数人で分け合ってもらいます。
次は七月を予定。なので今回もらった人は次回は他の人に譲るのかな。

2013年4月30日火曜日

不確かをどうとらえるか


カウチサーフィンを始めたのはいつだったか。。
先月くらいにやっとこさ自己紹介を充実させて、
昨日初めてサーファーがやってきた。

紳士で謙虚。博識で人情溢れる方だった。
生傷が絶えない。そんな印象。
それに比べて自分は少し転んだだけで消毒をして絆創膏を貼るような柔さであると再確認。

経験値。
不確かで掌握できるものではないものを、確かで掌握できると錯覚していることを薄々感じながらも盲目的に得続ける経験値と、
不確かで掌握できるものではないものを、抗うことなくそのままにとらえ、その中に入りそれを楽しむかのように得ていく経験値。
その差は雲泥の差。異質。

初めてのカウチサーファーが彼で良かった。心地よい風でした。
次のサーファーからの打診が待ち遠しいです。

2013年4月16日火曜日

壁ではなく溝か


さべきんトライを広めるにあたって、そもそも自分自身が障害者差別禁止法についてろくに知らないでは話しにならない。
そう思い情報収集を始めました

がー、試しにgoogleのニュース検索で「障害者差別禁止法」と入れて出てきた結果は8件。8件って中々見ない数字だなあ。
先日の会議で「メディアウケが悪い」との発表があったけどそれが裏付けられた形。
既存のメディアが扱う「ニュース商品」は重要性より話題性。
話題性としての商品価値があるかどうか。

ウケが悪い理由は「面白くないから」だそう。
面白い面白くないは、興味がある興味がないに言い換えられると思う。
障害者差別禁止法という名前からも、「障害者のための法律」で止まってしまい、
自分には関係のない向こう岸の話しとなり関心がわかないのだろうか。
学生時代から分離されされることで強められた区別、線引き。
施恵として位置づけられがちな福祉からも同質のものを感じる。

どうすれば自分事としてとらえてもらえるか、が鍵になるのだろうか。
誰もが住みやすい社会にしたいと思うのであれば、障害者差別禁止法は「一部の人のためだけにある法律」ではなくなるはずなのだけど。
これも自立ではなく孤立を進めた社会の産物だろうか。
ヒトとモノとコトが分断され、ヒトもモノもコトもカネの後にくるように。
「先立つものが必要」とは皮肉で薄っぺらな言葉だ。

メディアが欲しがる話題性なんて、表面的な大きくてわかりやすいものだろうという思いが強くなる。
面白さの言葉には、斬新さや突拍子もなさが含まれている。
障害を持った人達が全国から1,000人集まり、大阪から東京まで600キロを野宿しながら歩く
とか、インパクトが欲しいだけなのだろうと。
海外からも参加する、も効果的なのでは。
ニュース検索の結果が二桁増えるように、周知されるように。


TRYについてはコチラ



2013年4月8日月曜日

iNPH 特発生正常圧水頭症

五日程前、家の廊下で母が尻餅をついた
腫れることなく、色も変わらず、熱ももたず、押してみても激しく痛がることもないので、ひとまず安心した。
翌日から痛さを理由に起床をしぶるようになった。
一昨日は立ち上がることもままならなくなり、歩行はずるように、3センチずつ進むようになった。
昨日から着替えも出来なくなり完全介護となった。

体調の変化は、肉体だけでなく心理的要因もあるのだろうと、周りの人とも相談して様子見と判断。
痛みや違和感が認知症ゆえにうまく表現できず、体調不良として現れていると。

歩行障害は認知症の症状の一つだろうか?
疑問に思い検索すると、どうやらそうであるという検索結果がでる。
いくつか読んでいくとiNPH=特発性正常圧水頭症という言葉に出会った。
治る認知症の話しだ。
認知症ではないかと疑い始めた頃得た情報でもあった。
だけどその時は歩行障害はなかった
現在はiNPHの症状全てに当てはまる。

自身でもわからない不調は本人が一番辛いだろう。
不器用に介護するぼくに向かって、申し訳なさと、自責の言葉を言う。
「気にしないでいいから」と言うと「そうはいかんよ」と返ってくる。
逆の立場だったらぼくもそう答えると思う。

母は長年苦労してきた人だ。
晩年にいたって何故、自身の体調不良に嘆き、関係する者に申し訳なさを抱かねばならんのだ。
それが解決とまではいかなくとも軽減するかもというのであれば、
選択肢に入れまずは専門家に相談したい


2013年4月6日土曜日


午前中お借りする田んぼの棚田を見学させてもらった。
無農薬、無除草剤、無肥料の自然栽培で行うことが前提の棚田。
いくら自分一人がそれを目指しても隣の田んぼでは農薬、除草剤なんてことはよくあり、そうではない空間を見つけるのは一苦労。
無農薬なんて一言口に出しただけで、相手にされず、説得という無駄な労力が必要になる。
ぼくはずっと自然と一になるような食の循環を求めていた。それを行うのに他のステップは踏まないにこしたことはない。
地元である場所に自然栽培、自然農を広めるというのは別の目標としてじっくり取り組めばいい

2013年4月4日木曜日

読まれることを意識していないものが読まれることの意味

興味深いメールが転送されてきた
書かれていた内容は勿論のこと、
自分が感じたことを他者に伝えることは大きな意味があることなんだと改めて思うことのできる得るものの多いメール。

転送された人は、まさか見ず知らずの第三者に読まれているとは思っていない。
本来ならプライバシーの侵害、個人情報流出だと、転送した人に憤慨するだろうが、おそらくならない。
「あぁ、あの人らしい。」で終わる。

そんな魅力ある「あの人」とその友人との文通には、
自分が行い体験し、得て、感じたことが記されてあった。
バックグラウンドが自分と同じ、もしくはそれ以上の田舎社会なので目を見開き拝読。

興味深い記述の一つが、
「農業政策と農山村政策は違う。農業や林業の支援ではなく、そこで暮らすことそのものを支援しないと人がいなくなる。」
そう、政策は面でないと、と思う。

最後の結びは二年間の学びから実践への志が書いてあった。
「私がこれからこの地でやるべきことは、山間の人たちの受け継いできた文化を今の時代で失わせないことではないかと思います」

伝統の森を作られた森本さんの言葉を思い出した。
重要な仕事を見つけられたのだと思う。

感じたことを他者に伝えることには大きな意味がある。
表現することの大切さをこのメールを通して思う。
この方と同じ二年間の学びの場に出席することは難しい。
だけどそこに出席しなくても、こういった感想を聞くだけで共有できるものがある。
その人の心の震えが伝わってくる。
それは心地よく、また今度は自分自身が震えを発する側になれば良い相乗効果が生まれるはず。

四月に入り新聞の購読をやめた。
記事になる情報、世の動きがこれまで以上に茶番に思えてきたからだ。それ以前にそもそも自分の足と手と目と耳で得られるもので十分。「範囲」は狭まるが「深さ」は精進次第で増すことができる。
両手で持ちきれないほどの情報はいらない。
社会を知るのと、情報を収集することは似て異なるもの。

この転送メールと、新聞が扱う「情報」の位置づけは異なる。

大切なのは結果ではなく過程。過程の連続。
意味があるかないかではなく、結果ありき答えありきの動機ではなく、
表現し続けること、他者に向けて伝えようとし続けること。
第三者にも読んでもらえてなおかつ感動してもらう為に書くのではなく、発し続けた先に呼応があった。
結果ではない、し続けること

2013年4月3日水曜日

建具の再利用

車を収納するのに表の座敷をつぶしました。
それによって余った建具を、襖と入れ替えました。

 先祖に見守られ(諦められ) ながら長さ調整していきます
 大正時代の建具がおもむろにギコギコと
入れ替え完了

車の後方はまだ一畳分の幅の板が残してあります
そこには煉瓦ロケットマスヒーターを作る予定
それにはまだ物が多いので、整理して空間確保していかないとなぁ

鉋だけでも20個ほどあるので、道具シェアとか。
何もかもお金で解決しないで、自分で出来る事は自分でやろうという人達は、ネットの力もあって増えたと思う。欲しがる人もいると思うのでそういう人達に渡っていけば良いな

(車を家の中に入れても排気ガス臭くないのは電気自動車の思わぬ利点でした)

春、解体再開

冬も終わり雪も溶けたので解体作業の再開です
子供達が入ってきては危ないし、朽ちている部分もあり隣近所に迷惑がかかるといけないので早めに着手。
なのですがその子供がそもそもこの集落にほとんどいない別の大問題
「子供は未来」
この言葉が繰り返します。

後方の小屋と、右隣の電柱、シュロの木に、朽ちた車、不燃物、そして木材の処理
これらを自分達の手で行った後は専門業者に整地を任します

今回はおじさん達と共同できることになり、ありがたいです。
電柱なんて自身で倒そうとは思いませんでしたが、ノウハウを知っている方に手伝ってもらいつつ。

相続なんて金持ちの問題だと思っていましたが、
誰にも平等に関わってくるんですね。
どうしたもんかと悩みながらも一歩一歩、少しずつ行っていたら、手伝ってくれる人がなんだかんだで増えました。声をかけてもらえると負担が一気に軽くなり、本当に嬉しいです。
小屋の中
母屋の整理や先につぶした仕事場に比べ片付ける種類は少ないし楽に終わりそうです 。
材木はロケットストーブの燃料にもう少し確保します

小屋全景
 電柱を倒すのは初体験
小屋もお隣さんと隣接しているので引っ張って崩すのはやめようと思っていましたが、
なれた人が手伝ってくれることになり再度自己解体
不燃物、車、木材
金物は回収業者へ
木材は燃料にしたい人へ譲り
コンクリートと廃車は土建屋に相談です


2013年3月30日土曜日

伝統の森と地元

非電化工房の藤村靖之さんの著書月3万円ビジネス
そこに記されていることを通して伝統の森を自分なりに分析し、
そこから地元に活かせる何かが見えてこないだろうかとやり始めた。

藤村さんは著書の中でこう記されている
高度経済成長ありきの中央集権システムから地方分権型、地域循環型の社会へ。
過渡期であるが故に変化は多用で部分的。
多用で部分的であることは、地位さなチャンスが限りなくある事を意味する。 
「過渡期に地方で仕事を生み出すには?」の唯一の答えは「有機化」
今まで分断されていたヒト・モノ・コトを繋ぎ直すこと。
ここまでの部分で伝統の森を見て、疑問に思うのはカネはどこにくるのだろう?ということ。
ヒト・モノ・コトが繋がっている森の中でカネはどういった位置にあるのか。

その人がやりたいことをやっている。森と、
有機化の要素としてヒトが主体であることは繋がっている。

ヒトとカネが結びつき、ヒトとモノ・コトが分断されたどこにでもある日本の地方
有機化への変化を促す動きを作るには。
長く一歩ずつの主体の同時多発的発生の相互作用。

四月後半のプレゼンに向けて一つの形を作る


2013年3月29日金曜日

伝統の森ですごした時間

言葉を思い出す。

「歴史には教科書に載る歴史と載らない歴史がある」
これらの話を聞いている時にウィキリークスの特異性を感じた。
教科書に載らない歴史の存在を認識することは重要だと思う。それは、教科書に載る歴史、目に見える歴史、歴史と呼ばれる前のメディアに取り沙汰される日々の社会の動きに一喜一憂して転がらないために。
「最近の大学生は教科書に載る歴史さえ知らない」とおっしゃっていたのを聞いて耳が痛かったです…

カンボジアから帰国し日常に戻ると、
新聞で得られる情報からは広さも深さも感じなくなっていた。むしろ感じたのは狭さ。
新聞に非があるというよりも、記事になる情報に愛想を尽かしている。こと政治に関しては茶番にしか見えず読む時間が惜しい。

何のための情報か。
「社会の動向を知るため」「視野を広めるため」
世間で見聞きするこの言葉はただのセールストークに聞こえる。それには理由がある。
カンボジアで人と触れ合い人の持つ力を感じた。自身が情報の中で生きる人ではなく、人の中で生きる人だと、人は人の中でしか生きられないを体験したのだろう。
人と会うことは、自分の足で得た情報となる。
人と会うことが出来るのには制限がある。それは悲しむことではなく、身の丈とよべる。
自分の目が届く範囲。空想ではないそれ以上に何を求めるのか。
新聞の購読を止めることと、社会に無関心になることは同一ではない。

情報を得る手段が他に出来たことも一因だがそれは本質とは違う。
何より、伝統の森で出会った人々から教わった大切なこと。
感謝し、自分の歩幅で今を精一杯生きる。
それを誠実に一歩一歩進めて行くことが大事ではないか。
それはつまるところ自身が人生の主体であることの認識。
以前読んだ本で「自己無価値観」という言葉が使われていた。それは言い換えると人生の主体になれていないんだと思う。
森の人々は見る限り人生の主体である
「自身がやりたいことをやる」村の方針と繋がっているようだ

ぼくが伝統の森の人たちから学んだことが反応として続けばそれはサブシステムになりえる。
人生の主体「点」として動き、それへの反応が起き、面となった時にはそこにサブシステムが出来ている
森本さんのサブシステム概念を聞いている時浮かんだのは、
斜めの動き、オルタナティブ。
今は19世紀と違い、それらを補完する道具「インターネット」がある。
恵まれている。
社会関係資本を唱えたロバートパットナムやトクヴィル、現代に生きる目上の方々の知恵に謙虚に耳を傾けたい。

「現代日本は混迷を極めた大変な時代と言われるが、ぼくには絶好の好機に見える」
そのようなことをおっしゃっていた。
情報に踊らされることなく生き抜いておられる森本さんらしい視点。
爽快。
力強く心強い。共有したい言葉。

尋ねたら森本さんはどんな本を勧めてくるだろう?と思いながら話を聞いていると、自ずと出てきた。それが宮本常一
初耳だった。興味深い著書多数。少しずつ読み進めたい

IKTTの織り機は、妻のために夫が自作したものだそうです。
なんと素晴らしく、自然であることか。

地方の過疎化、疲弊の現状を活性化するとすればどのように?との問いには、
そもそもの情報自体が正当ではない。と
地方にこそ必ず宝がある、というような返事でした。
村の集会で数十人と集まってもこのような力強い声は出なかった。真摯に耳を傾けたい

俯瞰することの重要性も語っていただいた。
佐伯剛さんもおっしゃっていたことだ。
体験の中から得ていくものなのだろうと漠然と思う

そう言えば宗教のことについても言及があった。
日本人は「自分は無宗教だ」と言う人がいるが、そうではないと。
盆、正月、節分、儀式、八百万の神、生活の中に入り込んでいると。
ぼくは何教だろうか。何に祈る。
自然、八百万の神であれば神道になるのか、アニミズムとなるのか、この辺りのことを少しずつ調べたい

森本さんには、
やれば良いんだ、動けば良いんだ、点で良いんだ
と背中を押された気分。引っ張られた感じ
森本さんの生命力に身体が呼応した。
氏のように大人として道を示してくれる大人は少ない
驚くほど少ない
足を引っ張ろうとする大人は多い。そういう風に生きてきたから仕方ない。

感じたこと、学んだことを、
「あ~良かった」で済ませることなく活かしていく

2013年3月28日木曜日

伝統の森 2013年 蚕まつり

2013年3月16,17日とCambodiaはSiem ReapにあるIKTT wisdom from forest で催された「Silk warm festival」へ念願叶い行ってきました。

伝統の森を訪れるのは二度目。
ぼくの中ではCambodia=伝統の森となっています。

森本さんのお話は興味深く、示唆に富み、人の力を感じることとなりました。
お話の中で印象に残っている言葉がいくつかあります。

「なまもの」
機会を無駄にしないとも言い換えることができるかと思うのですがそういう瑣細なことだけではなく、
生きるという根源からきた発言であり、
その日その日を大切に精一杯生きる森本さんらしい言葉だと思いました。
「次の機会でいいや」
と次があることが前提とした、
今とさほど変わりない未来があると信じた発言はよく聞く。
お金で大多数のものが手に入る状態になれてしまっているところからくるのだと思う。
明日が今日と全く別の日常になることは少ない。
だけれど、肝心なことはなるかならないかではなく、
姿勢。
なまもの、食べ物だけではない旬、いまここを大切にすることをもっと意識したいと思いました。
森本さんはおっしゃりました「明日、子供達が全ていなくなった時のことも考えている」
ぼくには到底想像できないことですが、氏は俯瞰されているのだと思います。

「面じゃなくていい、点で良いんだ」
これは、自分がやれることは結局小さな一歩ずつ。自分の歩幅で、目が見える範囲内で、積小為大なんだということではないかと思います。
流れを変えるにはどうすれば良いかと悩んでばかりおらず、まずは自分が動くこと。
自分が小さな石となり流れの中に身を投じ、
その行動が一つ増え、二つ増えし、結果的に流れをも変えうる。
勿論、流れの中に投じることは大きな抵抗を生じる。
だけれど、「湖に浮かびたくなければやめておけ」と釘を刺されることは日本においてはまずはない。

伝統の森では多くの新しい命が生まれている。
人だけでなく、動物、植物、織物、
それらは森の中で育まれる。
最近は火葬場も作ったそうだ。それを聞いて本当に感動した。
生と生きると死ぬが完結しているのだ。

伝統織物の復興、雇用の創出、貢献。
そういった面がクローズアップされるが、それらは森の一部だと思う。
育みの一部。
生も取り上げやすい。
しかし、死まで向き合うことはあまり聞かない。
他の国際協力と呼ばれるものとは一線を画している。

子供、犬、牛、大人、道具、自然に囲まれある姿は美しい。

同席していた染色を始める20歳の学生に森本さんが「やるなら死ぬ気でやれ」と言葉を贈っていた。
本気の言葉だ。言い訳せずに受け止められるだろうか、いや受け止めねばと自分に言う。

まつり終了後にディスコタイムが始まった。
その時の村の若い人々の表情がとても素晴らしかった。
本当に幸せそうに踊っていた。
なまものとして今を楽しんでいた。
消費する享楽としての今が楽しけりゃ良いには感謝がない。それとは別次元だ。

以前森本さんは村全体がぼくの作品とおっしゃっていた。
見て感じたこと、聞いて感じたこと、自分の中に飛んで来た種を芽生えさせたい。



2013年3月13日水曜日

想い偲ぶ

香典返しに回った。
件数が多く「全部手渡ししていたら時間がもったいない」と判断したその理由は、
そもそも自身が香典に返しを全く求めていないということ。物は不要であり、香典返しという記号化されたものは企業側のあの手この手の商売の一つだと思っているから。バレンタインデーのチョコと同じだと。

家にあふれるほどある未開封のタオルの箱の山をみて、人間の愚かさを垣間みた。
相互扶助を貫徹するのであれば、返しは不要だと思っている。
だけれどそうもいかず、「香典返しをしなかった奴は近所からくそみそに言われている」と聞かされ、
また、土地の習わしだとか、返して当然との周りからの大きな声。
ゴキブリが苦手になったように、香典返しを納得のいかない面倒くさい作業と認識するようになってしまった。
環境因子でもあり、自信を貫けぬ弱さでもある。父の面子もある。

田舎暮らしをオシャレに取り上げる雑誌に「近所付き合いさえ克服すれば快適」とよく書いてあるが、言い換えればしがらみであり、そんなものは日常的に散見する。
「そういうもんだから」という言葉の前に理屈は通らない。
だけれども、そういった「しがらみ」とは別の流れが確かにあり、時間をかけてでも全員に手渡ししたかったものだと思う。

不味い人参を食べ、人参が全て不味い物だと錯覚してしまったのだが、本当は美味しい人参もあるのだと思い出したように気付いたようなもの。
故人を偲ぶ言葉を聞くことなく葬儀を作業的にこなすことを責め立てられた不幸だろう。そう認識してしまっている。
自分達の想いとは別方向に引っ張られた。いたしかたないことだと思うが、母の時はもっと偲ぶことに重きを置いた葬儀にしたい。

香典返しを手渡すとき多くの人は遠慮した。そして、父にはお世話になったと聞かせてくれた。
人によっては、開口一番「これ、お父さんに作ってもらったのよ」と玄関に飾ってある絵の額を指してくれたり、あれこれ直してもらったと聞かせてくれたり、父との関係を話ししてくれた方が何人かいた。
あぁこれが「仕事」というものなのかと思う。
地域に根差し、地域の人に主体を置いた生業。
後年は技術を要する木製建具から、DIYコーナーにも売っているアルミサッシにとってかわり、
また時流にも乗れず仕事が減り比例して収入も少なくなり金銭面では苦労することになった。
生きている間はそういった面が視覚化し易く、本人も悩んだし家族の問題となった。
しかし、「そんなことは本当の問題ではない」と再認識させてもらえた。

「義理だから仕方ない」「この地域のやり方」要するに体面を重視した理屈の通らないこと、
これらは亡き父を偲ぶことと全く無関係でぼくにとっては興味のないこと。
始まりは相互扶助、お互い様の助け合い精神だったと思う。そこを経済至上主義の欲が市場と見なし「香典返し」という気持を商品にした物を投入した。
香典を下さった方々には支えていただいたことに対する感謝を持っていて、
なぜそのような方々に「もらってもどうせタオルかなんかだろうから中身を見ることなくポイとほったらかしにしておく」と言われるような香典返し商品を贈らなければならないのか。3Rやもったいない精神が見直される現代において。葛藤。

挨拶をしに行った人の大半は見返りなんか期待していなかった。
社交辞令なんかではない想いを聞かせてくれた。
それはぼくにとって父を偲ぶ時間となった。

通院していた日々が遥か昔に感じる。
ずっと続くかのように思っていたが、つかの間だった。
呼吸のとまった父の身体を拭いている間と、
父の思い出を語ってくれる人の話を聞いている時。
物やお金の介さない、想いの言葉のやりとりの間が偲ぶ時間であると感じる。
純粋な想いの言葉に救われました


2013年2月6日水曜日

生は記号ではなく、死は物理的消滅ではなく


父の死を迎え、
数日後に、知り合いの人に子供が生まれたことを聞いた。

死と生の与えるもの。
その死と生との合間の時間。
これはとても重要ではないかと思う。

80歳に近い目上の方がぼくたちの結婚式にでたいとおっしゃって下さった時の理由の一つは「もうかれこれ葬式ばかり。目出たいことに出たい」
その気持ちは、父が最後の入院をした時期に妻の従姉妹から届いた結婚報告の葉書にあった幸せそうな写真をみてぼく自身もよくわかった。

死と生の合間の大きさ

医療技術が進み寿命が延びたことは喜ばしいことなんだろうか。
誰だって大切な人が自分より先に亡くなることは避けたいだろう。

だけれど
生から遠のき、
死から遠のき、
生と死の合間も遠のき、
生や死がファミレスで注文するのと同様の作業になってしまっている現状。

社会的な正解はわからないしわかるはずもないが、
自分の中では一つの解がでた。
新しい「生」が欲しい。

長らく求める土に根ざした生活
それと同じ根源的、本質的に大切なことなのだろうと思う


2013年1月26日土曜日

肖像写真


本当に素晴らしい遺影となりました。

結婚式の翌日に偶然とうまれた作品。
晩年の父がそこに居ます。
撮ってくださったマスノマサヒロさんには感謝してもしきれません。

形ばかりを追い、父に背を向けお金の話しばかりの葬儀に心底嫌気がさしている中、
通夜、葬儀に多くの地元の人が来てくださったことで、
その想いのおかげで儀式たるものとして昇華することができました。
「故人を送りたいから集まる」葬儀の儀式として一番重要で、太古から変わらずある人間の想いではないでしょうか。消費される商品としての「お葬式」に血が通った瞬間でした。

人の作り出したものに翻弄され、
人がうみだすものに救われる。

酸素マスクをしていたので会話は出来ませんが、息を引き取るその直前まで問いかけへの反応がありました。
2度しゃくり、自分の手の中で息を引き取った瞬間を見届け、
医療機器を全て外し自らの手で父の身体を綺麗に拭きとる。
父の死をじっくり見つめることができたのは、病院から出るまでの間だけでした。

長い間お疲れ様でした。
育ててくださりありがとうございました。

12ヶ月前 膵癌入院
一ヶ月前 転倒による大腿骨骨折で入院
1/7 退院
1/12 救急車で搬送
1/15 肺炎で入院
1/22 6:05 永眠

2013年1月21日月曜日

自省

「そうは言っても、こういうもんだから」
決め台詞の下、
見るべき今、ここ、に意識を置きたくても、
次へ次へと追い立てられる。

作業が潤滑に進むように、ラインの先を意識するようなもの。
儀式は意味をなくした形だけの作業になっている。
形骸化された儀式それが今の社会風潮

見るべきは、目の前で病院のベッドに横たわり病魔と闘う父
見るとは、ただなんとなくではなく、意識してこそ。

意識を次へ次へと押し出されるその場所は、
機械的な流れを円滑に進めるためのタスクポイント。
「そうは言っても、こういうもんだから」
魔法の決め台詞が聞こえたら、
気づけばシステムを効率よく進めて行くためのラインに乗せられてしまっていた。

学校、会社、結婚式、葬式、
「そうは言っても、こういうもんだから」と、見るべきものを後ろ手に隠される

薪を作って火をおこしお湯を沸かす。
始めは燃えやすいものから、だんだんと、急がず慌てず、
ある程度燃えだしたら、そう簡単に消えることはない。

哲学、思想は生活と密着していなければ嘘ではないか?と思う。
日々のしなくては生きていけないところから生まれ出たものではないだろうか。
水場を見つける。井戸を掘る。水を汲む。
焚き木を拾う。薪を割る。火を付ける。火を消さないようにする。

現代人が効率化の為にお金で済ませてしまうところをやらずして、
学問として触れ合う哲学、思想に何の意味があるのか。
過去の先人の想いの半分も理解できないだろう
理解できたと思ったら歪曲しているのがオチか。

大地ではなく、システムの上に立っている。
学生の時に勉強と呼んでいたものはいったいなんだ。

夜が明け始め、呼吸を続ける父
昨日よりも熱は下がり、呼吸も安定した
主治医の宣告はありがたく外れ、次は肺炎も回復に向うよう祈るのみ
マッサージをし、他動運動を行い、身体のアイデンティティを保つ

祈り行う今、ここ

必死のことで現実にぶら下がる
ぶら下がり続けられるよう、しっかり目を見開きたいもの



2013年1月9日水曜日

戦争のつくりかた

戦争のつくりかた 

「戦争のつくりかた」の著作権は、
りぼん・ぷろじぇくと
井上ヤスミチ氏に帰属。
版権は株式会社マガジンハウスに帰属。 
2004年に出版されたこの本は、現在、非営利的使用に限りオープンとされています。 深謝