2014年7月29日火曜日

終わり

自分の中の言葉が変わったのでブログを新設しました。

つむいでゆく

2014年6月29日日曜日

再エネへの違和感

昨夜「農山漁村再生可能エネルギー法を使った地域活性化を考える」第一回地域検討会議に参加。

牽引するのは、米づくりをさせてもらっている棚田のオーナー嶋野さん。
棚田の再生だけでなく、地域にある資源(モノ、ヒト)を活かした持続可能性のある地域活性化に向けて考え実行されている。すごいな。

必要な専門家と、専門家ではない人間の関わり方、
専門家ではないけれど必要されている人物像が各地の先例をもとに挙げられていた。この点も流石。
地元住民、行政、地元林業の方達の参加もあり、
生活圏内でこういう動きが生まれることは嬉しい。

しかし、再エネ活用=FITの活用であってはならないと考えるし、
それ以前に作ることよりも減らすことが重要であると思う。
3.11以降、日本に沸いた再エネブームへの違和感は、
企業先導で地方にメガソーラーを建ててしまうものと、
地域住民が主体となってそこにある資源を自分たちの暮らしに活用しようとしているものを
ごちゃまぜにして同一のものとして見てしまっていたところにありそう。
「市民発電所とは?」を考えたい。

自分の暮らしだと、
現在テレビ、エアコン、冷蔵庫は家にないし、電子レンジは使ってない。
なので常に電気を消費している家電がない。
何らかの方法で発電すれば事足りるのではないかと思う。
売電には興味がないし、余剰電力であったとしても売電を目的とするべきではないと思うので必要最小限の設備で済む。
売電の欲を出すと、「もっと多く」という数量的価値観が頭をだす。そうするとエコと称したゴミが増えるばかり。
家庭用充電池への補助金があれば助かるな。

あとは、今在る熱の有効利用を考えたい。

2014年6月21日土曜日

チームしが

7/13に投票がおこなわれる滋賀県知事選挙に出馬される三日月大造さんと応援団長の現知事である嘉田由起子さんがゲストとして招かれ、
出馬にかける想いと、これまでとこれからの県政について語られた。

草の根の自治の大切さ。
政治に無関心、おまかせではなく、一人一人が参画する県政へ。
これからの日本社会において目指すべき方向だと思う。
今後もこれまでの大量生産、大量消費、ヒトも物も使い捨てで、記号が尊ばれる価値観であったなら、
戦後70年なにやってたの?がさらに伸びてしまう。

おたがいさま、持続可能な社会、シェア、手仕事を手に取り戻す、
といった最近復活しつつあるように見える価値観を大切にする滋賀県にしたい。
大きな声によって押さえ込まれていたものが、インターネットの普及で可視化されただけかもしれないけど、
同じように中央集権型の社会から分散型の社会へと移っていくことを望む。

それは、手放してしまったものを手に取り戻すことにつながると思う。
暮らしの中の技術や、その技術に基づいた考え。それをおこなう自身の思考力。

作物を育てれば、自然は分け合うことを教えてくれる。
欲深く独り占めしたところで手に余るだけだから。そのことを身をもって教えてくれる。
何もかも買って済ませていたものも、足元に目を配ればそこに予め在ることを知る。
雑草と称して除草剤で見た目に綺麗にしていた草は、大半が薬草であったりして、
季節ごとの必要な栄養分を与えてくれる。
これはヒトから見た視点だから、ああそうかとなるけれど、
ヒトは自然の一部なのだからと当たり前のことから考えると至極当然。

在るモノを活かしてきた人間の智慧。
そこにある謙虚さ。
シェアなんて概念は本来新しくもなんでもなく、昔から続いてきた人間の智慧そのものが知の共有ではないか。

チームしがの言う「草の根の自治」とは、
ヒトの智慧の復活ではないかと個人的に解釈した。
(ちなみに真逆の方向性が自民党)

三日月さんは民主党衆議院議員を辞めて無所属での立候補。
○○党推薦、といったようなやり方ではないところにも共感を抱く。

しかし、お話しを聞いていて県政においてもジェンダーバランスの尊重、早期解決は必死であると感じた。
また、各地で作られつつある「障害のある人もない人も暮らしやすい地域条例」についてうかがったところ、
「県議会議員の過半数が自民であり、そういった類のことをやろうとしたりすると大反対を受けた」とも。(うろ覚えのざっと書き)
当事者団体のこれからの運動にも関係してくることだと思った。
新県知事が自民推薦の者になったら、滋賀で上記条例を作ることは増々困難になる。

三日月さんと嘉田さんによるタウンミーティングは今後も続くので県民の方はぜひ自分の耳で聞きに行ってほしいと思う。
そして疑問点はその場で投げかけてほしい。

まだ聞きたいことや話したいことがある。

柏原でも同様のお話し会を開けないかなあ。

2014年6月1日日曜日

遠くに見えたあるがままの境地。


遠出の際に、いい機会だからとインターネットから離れて本を持ち歩くようになった。
今回は、野口三千三 野口体操からだに貞く、シュタイナー教育、トモ藤田 ギター教則本の三冊をお伴にし、
からだに貞くを読了した。

体操と言っても健康本ではなく、野口さんの言う体操とは
「からだとコトバの裏(なか)に潜りこんで、自然の原理と人類の智慧を探検する営み」
裏(なか)とは、野口さん流の分析で「心・内・底・奥・基盤・土台・本質・真実・根源」の意。
このように文字をヤマトコトバや甲骨文字といった古代文字で分析する理由は、
この段階の文字を調べればある程度本当の人間のものに対する感じ方、表現の仕方がつかめる気がするからだそう。
面白いなーと思う。
ずっと前から読みたいと思っていた白川静さんを読む時期がきた。
子どもの名前も浮かぶかもなー。

卵の立つはなしは、「卵が立つ原理こそ、人間の立ち方の本質を示しているんじゃないでしょうか」と始まり、
「今まさに自分がやろうとしていること、そのこと、その場面に一番ふさわしいあり方をすることが立つということ。
どんなつまらないものと思えるものでも、必ずなにか自然の原理を教えてくれます。
要は、自分の向かい合い方であり、聴く耳を持つこと」
と、田口ランディさんや佐伯さんが虜になっている「石立て」と通ずるものがありました。

「人間というものは弱いもんだから、ごまかしのきく理屈は信じない方がいい。
ごまかしのきかないところで考えていかないと、知らないうちにウソの理論を構築してしまうおそれがある」
なるほど覚えておこうと思った。

体操とは占である、という野口さん。
貞の甲骨文から、「貞は神に対する「問・聴」の行為。占の世界が人と神(自然)との関係の「貞」の行為で、甲骨文が人と神との関係の文字であり、私の体操が意識としての自分と、神としての「からだ・自然」との関係によって成立するものなので、
「からだに貞く」ということになる。」

「からだの動きのよしあしを、からだの外形、映像、測定器の記録、他人との競争などによって判断していると、基準というものはいつも自分の外側にあって、自分はそれを絶対のものとしてそれに服従し、規制され管理されるようになってしまう。
自分の意識、理性、知性で自分のあり方を判断していると、いつの間にか脳が専制君主となり、
からだは脳の奴隷となり、常に脳によって命令管理され、結果的にからだは、緊張・努力の量を増すこと、苦しみに耐えて頑張ることによって、
問題を解決しようとする傾向をもってしまう。そして人間は努力さえすれば何でもできるのだという、意識しない人間の傲慢さの虜となってしまう。
自分とは問いかけをするだけの存在で、あとはすべて「自然の神にお任せする」問いかけだけが自分のやることのすべてだから、このことに命をかける」

2014年5月25日日曜日

2014.7.13の滋賀県知事選挙にむけて

7.13の滋賀県知事選挙にむけて「チームしが」の事務所開きがおこなわれました。
若者代表で挨拶された村上さんの言葉に共感します。

真の地域自治とは地域の自立であり、
それにはまず自身が自分自身の人生を自立して生きることだと考えます。

生命に沿った自分の役割とは何かを常に自問し、
それにより自身の立つ位置を俯瞰しながら日々を暮らしたい。

北欧を理想郷とするのではなく、自分が暮らす滋賀を住み良い場所へ。
それは、ヒトとヒトの会話から始まる。
相手を尊重し、自分の言葉で意見を言う対話による自治を目指すチームしがを応援します。


選挙に勝つことを目的とするのではなく、
反原発・反TPPを主語とせず、
その先に向かって和気あいあいとできる県がいいなー


以下、村上さんの挨拶を転載。
「今日はチームしがの事務所開きに寄せていただきました。
若者代表ということで、締めのアピールをさせていただくお役もいただきまして、下記のような挨拶をさせていただきました。
***
こんにちは。村上悟と申します。米原市から参りました。
日ごろは、NPO碧いびわ湖の代表として、子どもたちに安心な未来を約束できる地域づくりに取り組んでおります。今日も、原発のない社会を目指して、すぐ近くの集会所で、古い蛍光灯のLED工事をしておりまして、その合間で(この場に)寄せていただきました。
 さて、チーム滋賀。いよいよ、始動です。
 人の命を、しっかりと守る。地域の人と自然の力を、大切に生かす。
 政治家のみなさんへの”おまかせ”政治を卒業して、わたしたち地域に暮らす一人一人が、みずから自治の担い手になる。
 武村県政とせっけん運動以来、40年にわたってはぐくまれてきた、この滋賀の政治文化が、今、新たなステージに入ろうとしていることに、私は今、ワクワクしています。
 今こそ、びわ湖を抱くこの滋賀から、原発はなくてもエネルギーはまかなえること、グローバル化の波にのまれずとも、地域に根差した持続可能な地域経済をつくることができることを、具体的な形にして、示していきたいと思います。
 今日ここに集まった私たちは、さきほど嘉田さんからお話しがあったように、みんな違います。歩んできた道も、見につけてきた作法も。
 だからこそ、違いをしっかりと見つめ合い、何が違うのか、なぜ違うのかを、互いに確かめ合いながら、共に手をとりあえることを、見つけていきたいと思います。
 そして、互いを知り合い、信じ合い、想いを共にする仲間の輪で、このびわ湖を、ぐるっと囲みたいと思います。
びわ湖と共に、
想いをつないで、
力をひとつに!
三日月さん、嘉田さん、細谷さん、そして今日お集まりのみなさん、どうぞよろしくおねがいいたします。
***
少し付け加えておきますと、僕は嘉田さんとは20年以上前からの知り合いです。また、チームしがの事務総長の細谷さんは、今僕が代表を務めている碧いびわ湖の前身団体、環境生協の生みの親で、細谷さんとも20年以上前にお会いしています。そして呼びかけ人の一人の藤井絢子さんは環境生協の元代表。
というような濃い濃いご縁で、チームしがに参加をさせていただくことになったわけですが、今僕は、このチームしがの動きが、これまでの「政治」へのイメージを変えていくものにできればと思っています。
政治とは、政治家がやるもの、というイメージ。
政治とは、身近な人とは避けるべき話題、というイメージ。
政治とは、眉間にしわを寄せてやるもの、というイメージ。
政治とは、関わると厄介な目に遭うもの、というイメージ…
そんなイメージを変えて、政治って、おもろいね。政治って、たのしいね。政治って、参加せんかったらもったいないね。
そんな認識を広げていけたらいいな、と思ってます。
きっと誤解されている方もあると思いますが、チームしがは嘉田・三日月後援会ではありません。
そうではなく、人の命を大切にし、地域を大切にして暮らしたい、と願う私たち一人一人が、課題を持ちより、ビジョンを持ちより、互いに知り合い、学び合って政策を練り上げ、それを実現していく、という、市民・住民が主体となった真の地域自治(草の根自治)の実現を目指しています。
選挙は、そのための手段でこそあれ、目的ではありません。
僕はまず、今回の知事選挙を通じて、できるだけ多くの人たちが、自分の言葉で、自分の想いを表現し合い、互いを知り合う、ということができたらいいな、と思っています。
あぁ、僕と同じようなこと考えてる人がこんな身近にいたんや、とか、こんな目に遭って、こんなことを思ってる人がいたんや、気付かんかった、とか、そういう、気付きが生まれていけばいいな、と。
そしてその中から対話が生まれ、何かが生み出されていけばいいな、と。
そうした動きの中に、首長や議員さんも行政職員さんも一緒に入ってもらって、住民・市民が主体となった自治を、一緒につくっていけるようになったらいいな、と。
とはいえ、こうした動きはまだ始まったばかり。まだまだこれから、多くの人の参加と協力が必要です。
自分たちが主体となった自治をつくるために、自分も何かしたい、何かできるかもしれない、と思ってくださる方がありましたら、ぜひ、お声かけください。何かワクワクとご一緒出来ることを、一緒にさがしていきたいと思います。」

2014年5月22日木曜日

70年なにしてたんだろ

今朝から神奈川の中学生が民泊で来ています。
虫嫌いでてんとう虫にすら怯えている。
ロケットストーブコンロでは火の扱い方もわからない。
戦後70年。えらい国にしましたねえ大人の方々。。。と思うほかない。
よく「今の若い者は」なんてセリフ吐けるよなあ。
そして子供たちは「進路」という言葉が孕むしがらみにがんじがらめ。
そんな中でやっと見つけた楽しみにも「今の若い者は。。。」と

2014年5月19日月曜日

主語は自分

朝から驚いた。
憲法解釈の変更を進めたい人達とは、そもそも前提から違ったんだと知って。
「戦争が起きても仕方ない」そう言いきる人達に、集団的自衛権でなくても個別的自衛権で必要十分ではないか、と言ったところで通じるはずがない。
文脈がすでに違っていた。
戦争ができる国にしたい人達に、「ほんとは誰も戦争なんてしたくないはず」と前置きした言葉は届かない。

7月の知事選で自民党推薦の候補者に投票することは、戦争が起きても仕方ないという考えを支持することになる。
「自民対反自民」を主語にすることなく考えたい。
嘉田さんの跡継ぎとして立てられた三日月さんが無所属で立候補することに好感を抱く。

ウインドウショッピングするように支持政党を選ぶのではなく、
まずは自分の意見がもてるように考えた上で近しい考えの候補者を支持したい。
党から選ぶ前に自分の考えを知ること。
それでも現与党推薦候補に投票することはない。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/life/post_66214/

恐ろしい時代

朝一番にテレ東の番組動画を見て暗澹たる気分になった。

「集団的自衛権 安倍総理の「師匠」直撃!」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/life/post_66214/

集団的自衛権とは何か、とか、個別的自衛権で充分にまかなえるとか、
そういったことを言っていてもまったく無意味だと、
声は届かないと痛感した。

「戦争はしてはならない」
その前提の下、集団的自衛権に向けての憲法解釈の変更を強行しているのかと思っていた。
憲法解釈を変更したい人達にはもうそんなことはどうでもよかったのだ。

集団的自衛権、それを首相が一手に担うべきだと言いきっている。
それを独裁と言うのではないか。
なぜ憲法があるのか、考えたことあるのだろうか。
立憲主義の否定だ。

そして、戦争が起きたらそれは国民の責任だと言いきっている。
そんな首相を選んだ国民が悪いとも。
完全な責任の転嫁。
誰も責任をとらない社会の縮図をみた。
それではダメだと動き始めた草の根を踏みにじるかのような発言だ。
自分は関係ない、外野から眺めているかのよう。

インタビュアーが「国民の多くは反対、懸念している」と聞いた時に見せた、
威嚇、威圧するような態度。
旧態依然としたトップダウン型のパワハラをみた。

「戦争なんて誰もしたくないはず」
という前提が根底からひっくり返った。
不戦の文脈の中で繰り広げられていた国民の声や、
豊かさとはなんだろう?と問いかけることで始まった小さな点が各地でつながっていきはじめた、
小さな芽をなじられ、ブルドーザーで絶やされていくような感じ。

インタビューのような発言が秘密裏ではなく、公然と流される現状に恐ろしさを痛感する。

2014年4月6日日曜日

資源 人 自然

嶋野ご夫妻による、小水力発電をベースにした地域活性化事業の構築報告会に参加。

楽しく周りを巻き込みながら実行されていくお二人はすごいなと改めて思う。
発表された先生の言葉遣いも良くて、主体は地域の方々なんだということが言葉の選び方にも出ていた。「一緒にやりましょう」という言い方に好感を覚えた。
そして、「市や県の担当部署に行ったり来たりしていて実感したことがある。職員も市民からの働きかけを待ってる」という言葉には希望を感じる。

FITの是非を言うよりもなにも、
目指すは地域の資源を活用した足るを知る暮らし。
今風に言い換えれば持続可能な社会。

原発の対義語としての再生可能エネルギーではなく、
妄信的な懐古主義でもない、
今の技術をもってここにある資源と向き合う暮らしをしたい。

農山漁村活性化再生可能エネルギー総合推進事業を活用できるよう、また後日、区長さんのところに押し掛けに行ってみる。

2014年4月2日水曜日

田んぼの季節がやってきた。
今年は7畝弱をお借りできた。
去年のだいたい7倍。

天気の良い日にまずはひっくり返し、仮の畦を作る。





2014年4月1日火曜日

自然栽培 ジャガイモ

じゃがいもを植えた。

種類は
北海こがね
さやあかね
男爵
メークイン

全て北海道産
全部で6kg

畑は草むらになっていた空き地をお借りできた。徒歩10秒

川口由一さんと木村秋則さんの二つのやり方で試した。

川口さんは切り口が下で慣行農法と同一
木村さんは切り口が上

どちらも無農薬無施肥の自然栽培。

川口さんは水はけがよくなるよう高畝で植え付けするとのこと、
しかしそれはしなかった。
庭に植える分は、一筋はそれでやってみよう。

長らく空き地だった場所。
笹がはびこり、これまた葛との格闘を思い出した。
一面にびっしり。

無駄な除草作業はしたくなかったのだけど、
せずには種芋も植えられない状況であった。

ブタか牛を放牧するといいのかな〜
中山道沿いの空き地で牛かブタがいる光景はいいな〜
カンボジアみたいだ。

いくつかは、笹の根もとっていない場所に植えてみた。
みんな、なんとか育ってほしいと思う。

最後に稲藁を撒いた。
藁草履でできた藁屑だ。
失敗した藁草履も混じっている。
明日、ほったらかしになっている梅の木を綺麗にしようと思う。

作業後、心地より疲れ。
本当に気持よく、今も続いている。
ご飯もおいしく食べれ、表情も穏やかだと思う。

そうそう、農作業をしていると近所の方が作物をくれた。
野菜を買いに行かなければいけない状態だったらしいのだけど、
行かずに済んだ。
いただいた野菜と、開墾の時に得た「のびる」と土筆で夕飯は賑やかに。
ありがたい。
のびる、なんて雑草とひとくくりにされて刈られて終わりだろう。
今であれば、除草剤をまかれて終わるんだろうな。

丁寧に足許にあるものを見れば価値が変わるのだな。
野草に詳しくなりつつある妻に感謝。

今日はギターを弾きたい気分。

寸足らず

竹小舞の土を落とし、竹を切ると即外壁だった。
やはりというか当然のように断熱材はなかった。
この後無事に開通したものの、
スライダー管の長さが足らず取付けられない状態に。
日も暮れ作業は打ち切り。
ぽっかり空いた穴から虫が次々とこんばんは。
牛乳パックで塞ぎ停止中です。




2014年3月31日月曜日

対照的

次は土壁に穴を開ける

よし!と思って写真を撮って机に戻り、
現場を見るとあまりの小ささに可笑しい。
一歩下がって見る度に、視点が移動するのが面白い。

一すなわち多

なんとかタイルは剥がれた。
タイル、モルタル?、合板、それを取り付ける為の木、向こうが土壁。
その向こうもおそらく木組みと、合板、そしてトタン。

相変わらずお粗末な作りだと思う。
これでは冬寒いのは当たり前だろう。
灯油が安く、点で暖房すればいい、といった社会背景の上にある考え。

本当に費用を抑えたいなら、断熱はしっかりしないと。
2階なんてなくても良かったのだし。

タイル一剥がしたら露わになった、生産、拡大、消費、の価値観。

電線はやっぱりなかったので助かった。
さーて何枚剥がし、どうやって壁面金具を付けようか。

タイル

とりあえず一枚剥がして作りを見ることにした。
マイナスドライバーと金槌で小一時間。
まだ剥がれない。
やっている時は目地セメントを剥がすことが世界の全てくらいの勢いだが、
一歩離れると、今までとほとんど変化のない壁がそこにある。
面白いなと思った。
これが全てだと思っていたことが、一歩さがるだけで、なんてことない他愛ないことになる。

おそらく普段の視点も気付けないだけで、同様の状態に陥っている。
どうすれば一歩引いて現状を見れるか、
俯瞰できるか、
心がけはもちろん大切だが、
それよりも具体的なこと、
そうか、自分なんか相手にしてもらえないだろう、と思えるような方に、
勇気をもって話しかけること、
自分が今何を考え動いているかも含め、伝え、
その方の反応、言葉から、
いたらない自分を理屈抜きに感じられるだろう。

歩みを止めることなく、謙虚さを抱いて、肩を叩いてみよう。

2014年3月30日日曜日

ペレットストーブの設置

部材が揃ったのでいよいよ設置工事開始。

扉の開け閉め、
掃除が支障なくできるか、
ペレットの供給に支障はないか、
煙突は届くか、
操作盤は扱いやすいところにあるか、
操作時に火傷するおそれは高くないか、
タイルは必要最小限の剥がし工事で済む場所か、
壁内に電線はなさそうか、
柱から外れているか、

ここなら大丈夫だろうと思う位置と向きにした。
だけど、きっと何か見落としている。

しかし、次へ。タイルを剥がすためのグライダーが家にないか探す。
ミニルーターは無い。
グライダーは動くか、ディスクは新調した方がいいかも。


2014年3月9日日曜日

午前中は一家三人で里山資本主義の人の講演へ。

午後は柏原に戻り、去年から行かなければと思いつつも行けないままだった方の御宅へ行ってきた。

柏原のホームページを作りたいと言った時に紹介されたその人は、30年ここ柏原で写真を撮っている。現在90歳。


その人が父に「男の子をつくらなあかん」と言ったらしい。

それで今のぼくがいる。そんなことを語る人がいる。

問答無用の理屈抜きで故郷を感じさせられた。今立っている場所を教えられた。

90歳のその人から矢継ぎ早に「ぼくには写真を撮ることくらいしかできまへん。暮らしているここの人や景色を取り続けている。あと五年は生きたい。そやから友達になって欲しい」と言われた。

ありがたい限りで、これもまたぼくができること、さしてもらえることの一つだと思えた。

この場所でやること、やれることは沢山ある。

里山資本主義の講演も悪くはないが、やはりあれは都市部の人に向けたものだろうと感じた。

あの本を読んで共感を覚える地方に暮らす若者たちの存在は時代の流れを感じられて嬉しい。

しかし、帰宅後に起きたことは、本で体系化されたことのど真ん中。そのもの。生だ。エネルギーが違う。


今年中に必ず柏原のホームページを完成させる。

そこに載る写真はその方のをお借りしたい。

これを機会としてまた色々動くと思う

2014年2月15日土曜日

小さな劇場は大きな夢を描く

標的の村で描かれているものは、歴史の教科書で習うものではなく、今現在続いている問題で、

今この時を暮らす日本人全員が問われる。

三上さんが映画という見やすいものにしてくれた。

それをみて感じた人が動いた。

高江の現場まで行って、自分の目で見る人が現れた。

イデオロギーなんて吹っ飛んでしまう現場の空気を感じることに意味を見出す人たちが全国から集まる。

暑くても寒くても権力の横暴に曝されてもそこに生きる人たちがいる。

高江のヘリパッドは、履いて捨てられるニュース番組の商品なんかではない。


友達が自主上映会を開いて何を世に問うのか興味ある。

何を創りたいのか。何を産み出したいのか。

「小さな劇場」という名前でどんなでっかい妄想をしているのだろう



2014年2月9日日曜日

鴻地

マスノマサヒロさんの投稿で知り、
一度伺ってみたいと思っていた「鴻の里」
念願叶い行くことができた。

豊かな自然とそこにいるヒトが生み出す暮らしの存在感は圧倒的なものだった。

受けた親切はこれから出会う人に返していかなければと思う。
返すというか、今度は自分がそれを作り渡さなければ。

鴻さんの暮らしから学ぶことは多い。
それは薪のとりかたや、山菜の見分け方といった意味ではなく、
ヒトが暮らすということ、生きるということ。

着飾った服、
消費される流行、
記号化された多くの情報、
そんな誤摩化しばかりをいくらもっていてもまるで無意味。

囲炉裏の中の火を前にして、
わかったような口をきいている自分が照らし出されていることに気付く。

口を閉じて、日々の暮らしに手を動かそうと思う。


kazesanブログ 「鴻の里」
http://mmkazesan.blogspot.jp/2013/10/001.html

2014年2月4日火曜日

やはり美

藁草履の下準備、余計な草を省く作業が終わった。
初めての草履作りだったこともあり、藁をカビさせてしまった。
今年はカビないよう藁を持ち帰った後は、
早々に余計な葉を取り除き、
空気の通りを良くしておこう。

しかし、なんとも立派ないで立ち。
ドンとして存在感がある。美しい。

ぼくは夜景やネオンやイベント毎に着飾られた街の風景を唯の一度も美しいと思ったことがない。
それらに比べただの藁のなんたる美しいことか。


2014年2月3日月曜日

藁のクズはゴミであらず

ほど近いところに厳しい方がいてくださることが
ありがたい

もっとそういった方々との距離を縮めたい
お近づきになれるようなりたい

便利社会の現代に生きているだけで
日々毎分毎秒
温泉に浸かっているようなもの

馴れ合いのほどほどの中では
腑抜けてしまうよ

厳しい方々がおられるところは
遠い

だけど行けなくはない

我が身を誤魔化さず
飛び込んでゆけ


藁草履作りを始めた。
田んぼにしてもそうだが、
藁にまみれ、土埃にまみれ、時折ひょこっと虫が顔をだす。

そんな自然との触れ合いをおこなっていると、
現代社会との「美意識」の相違を感じる。

虫や土埃を不浄とし、
細菌を悪として、
除菌スプレー等の広告が大手を振るい、
それになにも疑問を感じず受け入れている多くの現代人。
寝てれば治る、たかがインフルエンザになぜああも過敏になるのか。

虫も居るし、土の上に人は立っている。