2014年5月25日日曜日

2014.7.13の滋賀県知事選挙にむけて

7.13の滋賀県知事選挙にむけて「チームしが」の事務所開きがおこなわれました。
若者代表で挨拶された村上さんの言葉に共感します。

真の地域自治とは地域の自立であり、
それにはまず自身が自分自身の人生を自立して生きることだと考えます。

生命に沿った自分の役割とは何かを常に自問し、
それにより自身の立つ位置を俯瞰しながら日々を暮らしたい。

北欧を理想郷とするのではなく、自分が暮らす滋賀を住み良い場所へ。
それは、ヒトとヒトの会話から始まる。
相手を尊重し、自分の言葉で意見を言う対話による自治を目指すチームしがを応援します。


選挙に勝つことを目的とするのではなく、
反原発・反TPPを主語とせず、
その先に向かって和気あいあいとできる県がいいなー


以下、村上さんの挨拶を転載。
「今日はチームしがの事務所開きに寄せていただきました。
若者代表ということで、締めのアピールをさせていただくお役もいただきまして、下記のような挨拶をさせていただきました。
***
こんにちは。村上悟と申します。米原市から参りました。
日ごろは、NPO碧いびわ湖の代表として、子どもたちに安心な未来を約束できる地域づくりに取り組んでおります。今日も、原発のない社会を目指して、すぐ近くの集会所で、古い蛍光灯のLED工事をしておりまして、その合間で(この場に)寄せていただきました。
 さて、チーム滋賀。いよいよ、始動です。
 人の命を、しっかりと守る。地域の人と自然の力を、大切に生かす。
 政治家のみなさんへの”おまかせ”政治を卒業して、わたしたち地域に暮らす一人一人が、みずから自治の担い手になる。
 武村県政とせっけん運動以来、40年にわたってはぐくまれてきた、この滋賀の政治文化が、今、新たなステージに入ろうとしていることに、私は今、ワクワクしています。
 今こそ、びわ湖を抱くこの滋賀から、原発はなくてもエネルギーはまかなえること、グローバル化の波にのまれずとも、地域に根差した持続可能な地域経済をつくることができることを、具体的な形にして、示していきたいと思います。
 今日ここに集まった私たちは、さきほど嘉田さんからお話しがあったように、みんな違います。歩んできた道も、見につけてきた作法も。
 だからこそ、違いをしっかりと見つめ合い、何が違うのか、なぜ違うのかを、互いに確かめ合いながら、共に手をとりあえることを、見つけていきたいと思います。
 そして、互いを知り合い、信じ合い、想いを共にする仲間の輪で、このびわ湖を、ぐるっと囲みたいと思います。
びわ湖と共に、
想いをつないで、
力をひとつに!
三日月さん、嘉田さん、細谷さん、そして今日お集まりのみなさん、どうぞよろしくおねがいいたします。
***
少し付け加えておきますと、僕は嘉田さんとは20年以上前からの知り合いです。また、チームしがの事務総長の細谷さんは、今僕が代表を務めている碧いびわ湖の前身団体、環境生協の生みの親で、細谷さんとも20年以上前にお会いしています。そして呼びかけ人の一人の藤井絢子さんは環境生協の元代表。
というような濃い濃いご縁で、チームしがに参加をさせていただくことになったわけですが、今僕は、このチームしがの動きが、これまでの「政治」へのイメージを変えていくものにできればと思っています。
政治とは、政治家がやるもの、というイメージ。
政治とは、身近な人とは避けるべき話題、というイメージ。
政治とは、眉間にしわを寄せてやるもの、というイメージ。
政治とは、関わると厄介な目に遭うもの、というイメージ…
そんなイメージを変えて、政治って、おもろいね。政治って、たのしいね。政治って、参加せんかったらもったいないね。
そんな認識を広げていけたらいいな、と思ってます。
きっと誤解されている方もあると思いますが、チームしがは嘉田・三日月後援会ではありません。
そうではなく、人の命を大切にし、地域を大切にして暮らしたい、と願う私たち一人一人が、課題を持ちより、ビジョンを持ちより、互いに知り合い、学び合って政策を練り上げ、それを実現していく、という、市民・住民が主体となった真の地域自治(草の根自治)の実現を目指しています。
選挙は、そのための手段でこそあれ、目的ではありません。
僕はまず、今回の知事選挙を通じて、できるだけ多くの人たちが、自分の言葉で、自分の想いを表現し合い、互いを知り合う、ということができたらいいな、と思っています。
あぁ、僕と同じようなこと考えてる人がこんな身近にいたんや、とか、こんな目に遭って、こんなことを思ってる人がいたんや、気付かんかった、とか、そういう、気付きが生まれていけばいいな、と。
そしてその中から対話が生まれ、何かが生み出されていけばいいな、と。
そうした動きの中に、首長や議員さんも行政職員さんも一緒に入ってもらって、住民・市民が主体となった自治を、一緒につくっていけるようになったらいいな、と。
とはいえ、こうした動きはまだ始まったばかり。まだまだこれから、多くの人の参加と協力が必要です。
自分たちが主体となった自治をつくるために、自分も何かしたい、何かできるかもしれない、と思ってくださる方がありましたら、ぜひ、お声かけください。何かワクワクとご一緒出来ることを、一緒にさがしていきたいと思います。」

2014年5月22日木曜日

70年なにしてたんだろ

今朝から神奈川の中学生が民泊で来ています。
虫嫌いでてんとう虫にすら怯えている。
ロケットストーブコンロでは火の扱い方もわからない。
戦後70年。えらい国にしましたねえ大人の方々。。。と思うほかない。
よく「今の若い者は」なんてセリフ吐けるよなあ。
そして子供たちは「進路」という言葉が孕むしがらみにがんじがらめ。
そんな中でやっと見つけた楽しみにも「今の若い者は。。。」と

2014年5月19日月曜日

主語は自分

朝から驚いた。
憲法解釈の変更を進めたい人達とは、そもそも前提から違ったんだと知って。
「戦争が起きても仕方ない」そう言いきる人達に、集団的自衛権でなくても個別的自衛権で必要十分ではないか、と言ったところで通じるはずがない。
文脈がすでに違っていた。
戦争ができる国にしたい人達に、「ほんとは誰も戦争なんてしたくないはず」と前置きした言葉は届かない。

7月の知事選で自民党推薦の候補者に投票することは、戦争が起きても仕方ないという考えを支持することになる。
「自民対反自民」を主語にすることなく考えたい。
嘉田さんの跡継ぎとして立てられた三日月さんが無所属で立候補することに好感を抱く。

ウインドウショッピングするように支持政党を選ぶのではなく、
まずは自分の意見がもてるように考えた上で近しい考えの候補者を支持したい。
党から選ぶ前に自分の考えを知ること。
それでも現与党推薦候補に投票することはない。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/life/post_66214/

恐ろしい時代

朝一番にテレ東の番組動画を見て暗澹たる気分になった。

「集団的自衛権 安倍総理の「師匠」直撃!」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/life/post_66214/

集団的自衛権とは何か、とか、個別的自衛権で充分にまかなえるとか、
そういったことを言っていてもまったく無意味だと、
声は届かないと痛感した。

「戦争はしてはならない」
その前提の下、集団的自衛権に向けての憲法解釈の変更を強行しているのかと思っていた。
憲法解釈を変更したい人達にはもうそんなことはどうでもよかったのだ。

集団的自衛権、それを首相が一手に担うべきだと言いきっている。
それを独裁と言うのではないか。
なぜ憲法があるのか、考えたことあるのだろうか。
立憲主義の否定だ。

そして、戦争が起きたらそれは国民の責任だと言いきっている。
そんな首相を選んだ国民が悪いとも。
完全な責任の転嫁。
誰も責任をとらない社会の縮図をみた。
それではダメだと動き始めた草の根を踏みにじるかのような発言だ。
自分は関係ない、外野から眺めているかのよう。

インタビュアーが「国民の多くは反対、懸念している」と聞いた時に見せた、
威嚇、威圧するような態度。
旧態依然としたトップダウン型のパワハラをみた。

「戦争なんて誰もしたくないはず」
という前提が根底からひっくり返った。
不戦の文脈の中で繰り広げられていた国民の声や、
豊かさとはなんだろう?と問いかけることで始まった小さな点が各地でつながっていきはじめた、
小さな芽をなじられ、ブルドーザーで絶やされていくような感じ。

インタビューのような発言が秘密裏ではなく、公然と流される現状に恐ろしさを痛感する。