2013年2月6日水曜日

生は記号ではなく、死は物理的消滅ではなく


父の死を迎え、
数日後に、知り合いの人に子供が生まれたことを聞いた。

死と生の与えるもの。
その死と生との合間の時間。
これはとても重要ではないかと思う。

80歳に近い目上の方がぼくたちの結婚式にでたいとおっしゃって下さった時の理由の一つは「もうかれこれ葬式ばかり。目出たいことに出たい」
その気持ちは、父が最後の入院をした時期に妻の従姉妹から届いた結婚報告の葉書にあった幸せそうな写真をみてぼく自身もよくわかった。

死と生の合間の大きさ

医療技術が進み寿命が延びたことは喜ばしいことなんだろうか。
誰だって大切な人が自分より先に亡くなることは避けたいだろう。

だけれど
生から遠のき、
死から遠のき、
生と死の合間も遠のき、
生や死がファミレスで注文するのと同様の作業になってしまっている現状。

社会的な正解はわからないしわかるはずもないが、
自分の中では一つの解がでた。
新しい「生」が欲しい。

長らく求める土に根ざした生活
それと同じ根源的、本質的に大切なことなのだろうと思う