2013年1月26日土曜日

肖像写真


本当に素晴らしい遺影となりました。

結婚式の翌日に偶然とうまれた作品。
晩年の父がそこに居ます。
撮ってくださったマスノマサヒロさんには感謝してもしきれません。

形ばかりを追い、父に背を向けお金の話しばかりの葬儀に心底嫌気がさしている中、
通夜、葬儀に多くの地元の人が来てくださったことで、
その想いのおかげで儀式たるものとして昇華することができました。
「故人を送りたいから集まる」葬儀の儀式として一番重要で、太古から変わらずある人間の想いではないでしょうか。消費される商品としての「お葬式」に血が通った瞬間でした。

人の作り出したものに翻弄され、
人がうみだすものに救われる。

酸素マスクをしていたので会話は出来ませんが、息を引き取るその直前まで問いかけへの反応がありました。
2度しゃくり、自分の手の中で息を引き取った瞬間を見届け、
医療機器を全て外し自らの手で父の身体を綺麗に拭きとる。
父の死をじっくり見つめることができたのは、病院から出るまでの間だけでした。

長い間お疲れ様でした。
育ててくださりありがとうございました。

12ヶ月前 膵癌入院
一ヶ月前 転倒による大腿骨骨折で入院
1/7 退院
1/12 救急車で搬送
1/15 肺炎で入院
1/22 6:05 永眠

2013年1月21日月曜日

自省

「そうは言っても、こういうもんだから」
決め台詞の下、
見るべき今、ここ、に意識を置きたくても、
次へ次へと追い立てられる。

作業が潤滑に進むように、ラインの先を意識するようなもの。
儀式は意味をなくした形だけの作業になっている。
形骸化された儀式それが今の社会風潮

見るべきは、目の前で病院のベッドに横たわり病魔と闘う父
見るとは、ただなんとなくではなく、意識してこそ。

意識を次へ次へと押し出されるその場所は、
機械的な流れを円滑に進めるためのタスクポイント。
「そうは言っても、こういうもんだから」
魔法の決め台詞が聞こえたら、
気づけばシステムを効率よく進めて行くためのラインに乗せられてしまっていた。

学校、会社、結婚式、葬式、
「そうは言っても、こういうもんだから」と、見るべきものを後ろ手に隠される

薪を作って火をおこしお湯を沸かす。
始めは燃えやすいものから、だんだんと、急がず慌てず、
ある程度燃えだしたら、そう簡単に消えることはない。

哲学、思想は生活と密着していなければ嘘ではないか?と思う。
日々のしなくては生きていけないところから生まれ出たものではないだろうか。
水場を見つける。井戸を掘る。水を汲む。
焚き木を拾う。薪を割る。火を付ける。火を消さないようにする。

現代人が効率化の為にお金で済ませてしまうところをやらずして、
学問として触れ合う哲学、思想に何の意味があるのか。
過去の先人の想いの半分も理解できないだろう
理解できたと思ったら歪曲しているのがオチか。

大地ではなく、システムの上に立っている。
学生の時に勉強と呼んでいたものはいったいなんだ。

夜が明け始め、呼吸を続ける父
昨日よりも熱は下がり、呼吸も安定した
主治医の宣告はありがたく外れ、次は肺炎も回復に向うよう祈るのみ
マッサージをし、他動運動を行い、身体のアイデンティティを保つ

祈り行う今、ここ

必死のことで現実にぶら下がる
ぶら下がり続けられるよう、しっかり目を見開きたいもの



2013年1月9日水曜日

戦争のつくりかた

戦争のつくりかた 

「戦争のつくりかた」の著作権は、
りぼん・ぷろじぇくと
井上ヤスミチ氏に帰属。
版権は株式会社マガジンハウスに帰属。 
2004年に出版されたこの本は、現在、非営利的使用に限りオープンとされています。 深謝