2013年3月30日土曜日

伝統の森と地元

非電化工房の藤村靖之さんの著書月3万円ビジネス
そこに記されていることを通して伝統の森を自分なりに分析し、
そこから地元に活かせる何かが見えてこないだろうかとやり始めた。

藤村さんは著書の中でこう記されている
高度経済成長ありきの中央集権システムから地方分権型、地域循環型の社会へ。
過渡期であるが故に変化は多用で部分的。
多用で部分的であることは、地位さなチャンスが限りなくある事を意味する。 
「過渡期に地方で仕事を生み出すには?」の唯一の答えは「有機化」
今まで分断されていたヒト・モノ・コトを繋ぎ直すこと。
ここまでの部分で伝統の森を見て、疑問に思うのはカネはどこにくるのだろう?ということ。
ヒト・モノ・コトが繋がっている森の中でカネはどういった位置にあるのか。

その人がやりたいことをやっている。森と、
有機化の要素としてヒトが主体であることは繋がっている。

ヒトとカネが結びつき、ヒトとモノ・コトが分断されたどこにでもある日本の地方
有機化への変化を促す動きを作るには。
長く一歩ずつの主体の同時多発的発生の相互作用。

四月後半のプレゼンに向けて一つの形を作る


2013年3月29日金曜日

伝統の森ですごした時間

言葉を思い出す。

「歴史には教科書に載る歴史と載らない歴史がある」
これらの話を聞いている時にウィキリークスの特異性を感じた。
教科書に載らない歴史の存在を認識することは重要だと思う。それは、教科書に載る歴史、目に見える歴史、歴史と呼ばれる前のメディアに取り沙汰される日々の社会の動きに一喜一憂して転がらないために。
「最近の大学生は教科書に載る歴史さえ知らない」とおっしゃっていたのを聞いて耳が痛かったです…

カンボジアから帰国し日常に戻ると、
新聞で得られる情報からは広さも深さも感じなくなっていた。むしろ感じたのは狭さ。
新聞に非があるというよりも、記事になる情報に愛想を尽かしている。こと政治に関しては茶番にしか見えず読む時間が惜しい。

何のための情報か。
「社会の動向を知るため」「視野を広めるため」
世間で見聞きするこの言葉はただのセールストークに聞こえる。それには理由がある。
カンボジアで人と触れ合い人の持つ力を感じた。自身が情報の中で生きる人ではなく、人の中で生きる人だと、人は人の中でしか生きられないを体験したのだろう。
人と会うことは、自分の足で得た情報となる。
人と会うことが出来るのには制限がある。それは悲しむことではなく、身の丈とよべる。
自分の目が届く範囲。空想ではないそれ以上に何を求めるのか。
新聞の購読を止めることと、社会に無関心になることは同一ではない。

情報を得る手段が他に出来たことも一因だがそれは本質とは違う。
何より、伝統の森で出会った人々から教わった大切なこと。
感謝し、自分の歩幅で今を精一杯生きる。
それを誠実に一歩一歩進めて行くことが大事ではないか。
それはつまるところ自身が人生の主体であることの認識。
以前読んだ本で「自己無価値観」という言葉が使われていた。それは言い換えると人生の主体になれていないんだと思う。
森の人々は見る限り人生の主体である
「自身がやりたいことをやる」村の方針と繋がっているようだ

ぼくが伝統の森の人たちから学んだことが反応として続けばそれはサブシステムになりえる。
人生の主体「点」として動き、それへの反応が起き、面となった時にはそこにサブシステムが出来ている
森本さんのサブシステム概念を聞いている時浮かんだのは、
斜めの動き、オルタナティブ。
今は19世紀と違い、それらを補完する道具「インターネット」がある。
恵まれている。
社会関係資本を唱えたロバートパットナムやトクヴィル、現代に生きる目上の方々の知恵に謙虚に耳を傾けたい。

「現代日本は混迷を極めた大変な時代と言われるが、ぼくには絶好の好機に見える」
そのようなことをおっしゃっていた。
情報に踊らされることなく生き抜いておられる森本さんらしい視点。
爽快。
力強く心強い。共有したい言葉。

尋ねたら森本さんはどんな本を勧めてくるだろう?と思いながら話を聞いていると、自ずと出てきた。それが宮本常一
初耳だった。興味深い著書多数。少しずつ読み進めたい

IKTTの織り機は、妻のために夫が自作したものだそうです。
なんと素晴らしく、自然であることか。

地方の過疎化、疲弊の現状を活性化するとすればどのように?との問いには、
そもそもの情報自体が正当ではない。と
地方にこそ必ず宝がある、というような返事でした。
村の集会で数十人と集まってもこのような力強い声は出なかった。真摯に耳を傾けたい

俯瞰することの重要性も語っていただいた。
佐伯剛さんもおっしゃっていたことだ。
体験の中から得ていくものなのだろうと漠然と思う

そう言えば宗教のことについても言及があった。
日本人は「自分は無宗教だ」と言う人がいるが、そうではないと。
盆、正月、節分、儀式、八百万の神、生活の中に入り込んでいると。
ぼくは何教だろうか。何に祈る。
自然、八百万の神であれば神道になるのか、アニミズムとなるのか、この辺りのことを少しずつ調べたい

森本さんには、
やれば良いんだ、動けば良いんだ、点で良いんだ
と背中を押された気分。引っ張られた感じ
森本さんの生命力に身体が呼応した。
氏のように大人として道を示してくれる大人は少ない
驚くほど少ない
足を引っ張ろうとする大人は多い。そういう風に生きてきたから仕方ない。

感じたこと、学んだことを、
「あ~良かった」で済ませることなく活かしていく

2013年3月28日木曜日

伝統の森 2013年 蚕まつり

2013年3月16,17日とCambodiaはSiem ReapにあるIKTT wisdom from forest で催された「Silk warm festival」へ念願叶い行ってきました。

伝統の森を訪れるのは二度目。
ぼくの中ではCambodia=伝統の森となっています。

森本さんのお話は興味深く、示唆に富み、人の力を感じることとなりました。
お話の中で印象に残っている言葉がいくつかあります。

「なまもの」
機会を無駄にしないとも言い換えることができるかと思うのですがそういう瑣細なことだけではなく、
生きるという根源からきた発言であり、
その日その日を大切に精一杯生きる森本さんらしい言葉だと思いました。
「次の機会でいいや」
と次があることが前提とした、
今とさほど変わりない未来があると信じた発言はよく聞く。
お金で大多数のものが手に入る状態になれてしまっているところからくるのだと思う。
明日が今日と全く別の日常になることは少ない。
だけれど、肝心なことはなるかならないかではなく、
姿勢。
なまもの、食べ物だけではない旬、いまここを大切にすることをもっと意識したいと思いました。
森本さんはおっしゃりました「明日、子供達が全ていなくなった時のことも考えている」
ぼくには到底想像できないことですが、氏は俯瞰されているのだと思います。

「面じゃなくていい、点で良いんだ」
これは、自分がやれることは結局小さな一歩ずつ。自分の歩幅で、目が見える範囲内で、積小為大なんだということではないかと思います。
流れを変えるにはどうすれば良いかと悩んでばかりおらず、まずは自分が動くこと。
自分が小さな石となり流れの中に身を投じ、
その行動が一つ増え、二つ増えし、結果的に流れをも変えうる。
勿論、流れの中に投じることは大きな抵抗を生じる。
だけれど、「湖に浮かびたくなければやめておけ」と釘を刺されることは日本においてはまずはない。

伝統の森では多くの新しい命が生まれている。
人だけでなく、動物、植物、織物、
それらは森の中で育まれる。
最近は火葬場も作ったそうだ。それを聞いて本当に感動した。
生と生きると死ぬが完結しているのだ。

伝統織物の復興、雇用の創出、貢献。
そういった面がクローズアップされるが、それらは森の一部だと思う。
育みの一部。
生も取り上げやすい。
しかし、死まで向き合うことはあまり聞かない。
他の国際協力と呼ばれるものとは一線を画している。

子供、犬、牛、大人、道具、自然に囲まれある姿は美しい。

同席していた染色を始める20歳の学生に森本さんが「やるなら死ぬ気でやれ」と言葉を贈っていた。
本気の言葉だ。言い訳せずに受け止められるだろうか、いや受け止めねばと自分に言う。

まつり終了後にディスコタイムが始まった。
その時の村の若い人々の表情がとても素晴らしかった。
本当に幸せそうに踊っていた。
なまものとして今を楽しんでいた。
消費する享楽としての今が楽しけりゃ良いには感謝がない。それとは別次元だ。

以前森本さんは村全体がぼくの作品とおっしゃっていた。
見て感じたこと、聞いて感じたこと、自分の中に飛んで来た種を芽生えさせたい。



2013年3月13日水曜日

想い偲ぶ

香典返しに回った。
件数が多く「全部手渡ししていたら時間がもったいない」と判断したその理由は、
そもそも自身が香典に返しを全く求めていないということ。物は不要であり、香典返しという記号化されたものは企業側のあの手この手の商売の一つだと思っているから。バレンタインデーのチョコと同じだと。

家にあふれるほどある未開封のタオルの箱の山をみて、人間の愚かさを垣間みた。
相互扶助を貫徹するのであれば、返しは不要だと思っている。
だけれどそうもいかず、「香典返しをしなかった奴は近所からくそみそに言われている」と聞かされ、
また、土地の習わしだとか、返して当然との周りからの大きな声。
ゴキブリが苦手になったように、香典返しを納得のいかない面倒くさい作業と認識するようになってしまった。
環境因子でもあり、自信を貫けぬ弱さでもある。父の面子もある。

田舎暮らしをオシャレに取り上げる雑誌に「近所付き合いさえ克服すれば快適」とよく書いてあるが、言い換えればしがらみであり、そんなものは日常的に散見する。
「そういうもんだから」という言葉の前に理屈は通らない。
だけれども、そういった「しがらみ」とは別の流れが確かにあり、時間をかけてでも全員に手渡ししたかったものだと思う。

不味い人参を食べ、人参が全て不味い物だと錯覚してしまったのだが、本当は美味しい人参もあるのだと思い出したように気付いたようなもの。
故人を偲ぶ言葉を聞くことなく葬儀を作業的にこなすことを責め立てられた不幸だろう。そう認識してしまっている。
自分達の想いとは別方向に引っ張られた。いたしかたないことだと思うが、母の時はもっと偲ぶことに重きを置いた葬儀にしたい。

香典返しを手渡すとき多くの人は遠慮した。そして、父にはお世話になったと聞かせてくれた。
人によっては、開口一番「これ、お父さんに作ってもらったのよ」と玄関に飾ってある絵の額を指してくれたり、あれこれ直してもらったと聞かせてくれたり、父との関係を話ししてくれた方が何人かいた。
あぁこれが「仕事」というものなのかと思う。
地域に根差し、地域の人に主体を置いた生業。
後年は技術を要する木製建具から、DIYコーナーにも売っているアルミサッシにとってかわり、
また時流にも乗れず仕事が減り比例して収入も少なくなり金銭面では苦労することになった。
生きている間はそういった面が視覚化し易く、本人も悩んだし家族の問題となった。
しかし、「そんなことは本当の問題ではない」と再認識させてもらえた。

「義理だから仕方ない」「この地域のやり方」要するに体面を重視した理屈の通らないこと、
これらは亡き父を偲ぶことと全く無関係でぼくにとっては興味のないこと。
始まりは相互扶助、お互い様の助け合い精神だったと思う。そこを経済至上主義の欲が市場と見なし「香典返し」という気持を商品にした物を投入した。
香典を下さった方々には支えていただいたことに対する感謝を持っていて、
なぜそのような方々に「もらってもどうせタオルかなんかだろうから中身を見ることなくポイとほったらかしにしておく」と言われるような香典返し商品を贈らなければならないのか。3Rやもったいない精神が見直される現代において。葛藤。

挨拶をしに行った人の大半は見返りなんか期待していなかった。
社交辞令なんかではない想いを聞かせてくれた。
それはぼくにとって父を偲ぶ時間となった。

通院していた日々が遥か昔に感じる。
ずっと続くかのように思っていたが、つかの間だった。
呼吸のとまった父の身体を拭いている間と、
父の思い出を語ってくれる人の話を聞いている時。
物やお金の介さない、想いの言葉のやりとりの間が偲ぶ時間であると感じる。
純粋な想いの言葉に救われました