2013年12月18日水曜日

そこにある暮らし

福岡でおこなわれている全国自立生活センター協議会の全国集会に参加中。
昨日は「ナナメの運動」と題され、映画「標的の村」上映と映画にも登場される伊佐さんと現在の障害者運動で中心的な役割を担っている方たちとの語り合いがあった。
沖縄の高江で起きている現状から日本の社会構造を見て、障害者問題との共通項をあぶり出し、それぞれのこれからに活かすには?といったような話し。

他分野と繋がっていこうという企画者の思い通り、講演後に新たなつながりとコトの始まりが起きていたので、見ていて嬉しくなった。

戦後67年の中で初めて普天間が県民の人間の鎖に囲まれた翌日、本土の新聞は一体何を一面に取り上げていただろう?と改めて気になった。本土と沖縄タイムスや琉球新報の温度差は大きい。

一人目の質問者も同様の感想を述べられていたけれど、
安保、三里塚、水俣、ハンセン病、上関、福島、障害者、
等々これらにみられる近似した社会問題の構造。
不毛な流れをどうしたら止められるか?という問いへの答えは、
「あきらめないこと」だった。

数年来高江のヘリパッド問題で動かれている伊佐さん、
福島原発爆発事故におけるずさんな対応、熟議なきTPP加盟、特定秘密保護法強行採決、それら氷山の一角における権力側の近視眼的行動への意見行動が大きくなる前から地道におこなわれ続けている当事者主体による日本の障害者運動を担っている人たちが言う「あきらめない」は重みがあった。

そしてその想いが、分野をこえてつながり広がっていく現場を昨夜見ることができた。
社会とはヒトの繋がりなのだから、
土台となる足許がつながれば、大きな力にも耐えうる構造が築かれると思う。
そしてその土台はデンマークで感じた風土に通じるはず。
それには「あきらめない」ことが肝心