2014年6月1日日曜日

遠くに見えたあるがままの境地。


遠出の際に、いい機会だからとインターネットから離れて本を持ち歩くようになった。
今回は、野口三千三 野口体操からだに貞く、シュタイナー教育、トモ藤田 ギター教則本の三冊をお伴にし、
からだに貞くを読了した。

体操と言っても健康本ではなく、野口さんの言う体操とは
「からだとコトバの裏(なか)に潜りこんで、自然の原理と人類の智慧を探検する営み」
裏(なか)とは、野口さん流の分析で「心・内・底・奥・基盤・土台・本質・真実・根源」の意。
このように文字をヤマトコトバや甲骨文字といった古代文字で分析する理由は、
この段階の文字を調べればある程度本当の人間のものに対する感じ方、表現の仕方がつかめる気がするからだそう。
面白いなーと思う。
ずっと前から読みたいと思っていた白川静さんを読む時期がきた。
子どもの名前も浮かぶかもなー。

卵の立つはなしは、「卵が立つ原理こそ、人間の立ち方の本質を示しているんじゃないでしょうか」と始まり、
「今まさに自分がやろうとしていること、そのこと、その場面に一番ふさわしいあり方をすることが立つということ。
どんなつまらないものと思えるものでも、必ずなにか自然の原理を教えてくれます。
要は、自分の向かい合い方であり、聴く耳を持つこと」
と、田口ランディさんや佐伯さんが虜になっている「石立て」と通ずるものがありました。

「人間というものは弱いもんだから、ごまかしのきく理屈は信じない方がいい。
ごまかしのきかないところで考えていかないと、知らないうちにウソの理論を構築してしまうおそれがある」
なるほど覚えておこうと思った。

体操とは占である、という野口さん。
貞の甲骨文から、「貞は神に対する「問・聴」の行為。占の世界が人と神(自然)との関係の「貞」の行為で、甲骨文が人と神との関係の文字であり、私の体操が意識としての自分と、神としての「からだ・自然」との関係によって成立するものなので、
「からだに貞く」ということになる。」

「からだの動きのよしあしを、からだの外形、映像、測定器の記録、他人との競争などによって判断していると、基準というものはいつも自分の外側にあって、自分はそれを絶対のものとしてそれに服従し、規制され管理されるようになってしまう。
自分の意識、理性、知性で自分のあり方を判断していると、いつの間にか脳が専制君主となり、
からだは脳の奴隷となり、常に脳によって命令管理され、結果的にからだは、緊張・努力の量を増すこと、苦しみに耐えて頑張ることによって、
問題を解決しようとする傾向をもってしまう。そして人間は努力さえすれば何でもできるのだという、意識しない人間の傲慢さの虜となってしまう。
自分とは問いかけをするだけの存在で、あとはすべて「自然の神にお任せする」問いかけだけが自分のやることのすべてだから、このことに命をかける」