2014年5月19日月曜日

恐ろしい時代

朝一番にテレ東の番組動画を見て暗澹たる気分になった。

「集団的自衛権 安倍総理の「師匠」直撃!」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/life/post_66214/

集団的自衛権とは何か、とか、個別的自衛権で充分にまかなえるとか、
そういったことを言っていてもまったく無意味だと、
声は届かないと痛感した。

「戦争はしてはならない」
その前提の下、集団的自衛権に向けての憲法解釈の変更を強行しているのかと思っていた。
憲法解釈を変更したい人達にはもうそんなことはどうでもよかったのだ。

集団的自衛権、それを首相が一手に担うべきだと言いきっている。
それを独裁と言うのではないか。
なぜ憲法があるのか、考えたことあるのだろうか。
立憲主義の否定だ。

そして、戦争が起きたらそれは国民の責任だと言いきっている。
そんな首相を選んだ国民が悪いとも。
完全な責任の転嫁。
誰も責任をとらない社会の縮図をみた。
それではダメだと動き始めた草の根を踏みにじるかのような発言だ。
自分は関係ない、外野から眺めているかのよう。

インタビュアーが「国民の多くは反対、懸念している」と聞いた時に見せた、
威嚇、威圧するような態度。
旧態依然としたトップダウン型のパワハラをみた。

「戦争なんて誰もしたくないはず」
という前提が根底からひっくり返った。
不戦の文脈の中で繰り広げられていた国民の声や、
豊かさとはなんだろう?と問いかけることで始まった小さな点が各地でつながっていきはじめた、
小さな芽をなじられ、ブルドーザーで絶やされていくような感じ。

インタビューのような発言が秘密裏ではなく、公然と流される現状に恐ろしさを痛感する。