2013年3月28日木曜日

伝統の森 2013年 蚕まつり

2013年3月16,17日とCambodiaはSiem ReapにあるIKTT wisdom from forest で催された「Silk warm festival」へ念願叶い行ってきました。

伝統の森を訪れるのは二度目。
ぼくの中ではCambodia=伝統の森となっています。

森本さんのお話は興味深く、示唆に富み、人の力を感じることとなりました。
お話の中で印象に残っている言葉がいくつかあります。

「なまもの」
機会を無駄にしないとも言い換えることができるかと思うのですがそういう瑣細なことだけではなく、
生きるという根源からきた発言であり、
その日その日を大切に精一杯生きる森本さんらしい言葉だと思いました。
「次の機会でいいや」
と次があることが前提とした、
今とさほど変わりない未来があると信じた発言はよく聞く。
お金で大多数のものが手に入る状態になれてしまっているところからくるのだと思う。
明日が今日と全く別の日常になることは少ない。
だけれど、肝心なことはなるかならないかではなく、
姿勢。
なまもの、食べ物だけではない旬、いまここを大切にすることをもっと意識したいと思いました。
森本さんはおっしゃりました「明日、子供達が全ていなくなった時のことも考えている」
ぼくには到底想像できないことですが、氏は俯瞰されているのだと思います。

「面じゃなくていい、点で良いんだ」
これは、自分がやれることは結局小さな一歩ずつ。自分の歩幅で、目が見える範囲内で、積小為大なんだということではないかと思います。
流れを変えるにはどうすれば良いかと悩んでばかりおらず、まずは自分が動くこと。
自分が小さな石となり流れの中に身を投じ、
その行動が一つ増え、二つ増えし、結果的に流れをも変えうる。
勿論、流れの中に投じることは大きな抵抗を生じる。
だけれど、「湖に浮かびたくなければやめておけ」と釘を刺されることは日本においてはまずはない。

伝統の森では多くの新しい命が生まれている。
人だけでなく、動物、植物、織物、
それらは森の中で育まれる。
最近は火葬場も作ったそうだ。それを聞いて本当に感動した。
生と生きると死ぬが完結しているのだ。

伝統織物の復興、雇用の創出、貢献。
そういった面がクローズアップされるが、それらは森の一部だと思う。
育みの一部。
生も取り上げやすい。
しかし、死まで向き合うことはあまり聞かない。
他の国際協力と呼ばれるものとは一線を画している。

子供、犬、牛、大人、道具、自然に囲まれある姿は美しい。

同席していた染色を始める20歳の学生に森本さんが「やるなら死ぬ気でやれ」と言葉を贈っていた。
本気の言葉だ。言い訳せずに受け止められるだろうか、いや受け止めねばと自分に言う。

まつり終了後にディスコタイムが始まった。
その時の村の若い人々の表情がとても素晴らしかった。
本当に幸せそうに踊っていた。
なまものとして今を楽しんでいた。
消費する享楽としての今が楽しけりゃ良いには感謝がない。それとは別次元だ。

以前森本さんは村全体がぼくの作品とおっしゃっていた。
見て感じたこと、聞いて感じたこと、自分の中に飛んで来た種を芽生えさせたい。