2013年3月13日水曜日

想い偲ぶ

香典返しに回った。
件数が多く「全部手渡ししていたら時間がもったいない」と判断したその理由は、
そもそも自身が香典に返しを全く求めていないということ。物は不要であり、香典返しという記号化されたものは企業側のあの手この手の商売の一つだと思っているから。バレンタインデーのチョコと同じだと。

家にあふれるほどある未開封のタオルの箱の山をみて、人間の愚かさを垣間みた。
相互扶助を貫徹するのであれば、返しは不要だと思っている。
だけれどそうもいかず、「香典返しをしなかった奴は近所からくそみそに言われている」と聞かされ、
また、土地の習わしだとか、返して当然との周りからの大きな声。
ゴキブリが苦手になったように、香典返しを納得のいかない面倒くさい作業と認識するようになってしまった。
環境因子でもあり、自信を貫けぬ弱さでもある。父の面子もある。

田舎暮らしをオシャレに取り上げる雑誌に「近所付き合いさえ克服すれば快適」とよく書いてあるが、言い換えればしがらみであり、そんなものは日常的に散見する。
「そういうもんだから」という言葉の前に理屈は通らない。
だけれども、そういった「しがらみ」とは別の流れが確かにあり、時間をかけてでも全員に手渡ししたかったものだと思う。

不味い人参を食べ、人参が全て不味い物だと錯覚してしまったのだが、本当は美味しい人参もあるのだと思い出したように気付いたようなもの。
故人を偲ぶ言葉を聞くことなく葬儀を作業的にこなすことを責め立てられた不幸だろう。そう認識してしまっている。
自分達の想いとは別方向に引っ張られた。いたしかたないことだと思うが、母の時はもっと偲ぶことに重きを置いた葬儀にしたい。

香典返しを手渡すとき多くの人は遠慮した。そして、父にはお世話になったと聞かせてくれた。
人によっては、開口一番「これ、お父さんに作ってもらったのよ」と玄関に飾ってある絵の額を指してくれたり、あれこれ直してもらったと聞かせてくれたり、父との関係を話ししてくれた方が何人かいた。
あぁこれが「仕事」というものなのかと思う。
地域に根差し、地域の人に主体を置いた生業。
後年は技術を要する木製建具から、DIYコーナーにも売っているアルミサッシにとってかわり、
また時流にも乗れず仕事が減り比例して収入も少なくなり金銭面では苦労することになった。
生きている間はそういった面が視覚化し易く、本人も悩んだし家族の問題となった。
しかし、「そんなことは本当の問題ではない」と再認識させてもらえた。

「義理だから仕方ない」「この地域のやり方」要するに体面を重視した理屈の通らないこと、
これらは亡き父を偲ぶことと全く無関係でぼくにとっては興味のないこと。
始まりは相互扶助、お互い様の助け合い精神だったと思う。そこを経済至上主義の欲が市場と見なし「香典返し」という気持を商品にした物を投入した。
香典を下さった方々には支えていただいたことに対する感謝を持っていて、
なぜそのような方々に「もらってもどうせタオルかなんかだろうから中身を見ることなくポイとほったらかしにしておく」と言われるような香典返し商品を贈らなければならないのか。3Rやもったいない精神が見直される現代において。葛藤。

挨拶をしに行った人の大半は見返りなんか期待していなかった。
社交辞令なんかではない想いを聞かせてくれた。
それはぼくにとって父を偲ぶ時間となった。

通院していた日々が遥か昔に感じる。
ずっと続くかのように思っていたが、つかの間だった。
呼吸のとまった父の身体を拭いている間と、
父の思い出を語ってくれる人の話を聞いている時。
物やお金の介さない、想いの言葉のやりとりの間が偲ぶ時間であると感じる。
純粋な想いの言葉に救われました