2013年11月8日金曜日

間#3 対談の間ー変わらぬものーを終え、あらためて再確認したいもの

百姓菩薩と呼ばれた松井浄蓮師が、機関紙「萬協」創刊号に寄稿された

「創刊の辞にかえて」 

終戦直後、自分は家内と子供六人をつれてこの比叡の山ふところへ入り、少しばかりの開墾をして新生活をはじめた。
そしてあくまで、我が民族のおかれている国際的な環境と、国内事情を厳正にみつめ、八千万分の一に徹するの決心、国民的覚悟を通じて、ひそかに抱きつづけてきているものがある。

それは現在、この地球上の人間、二十四億の人類が何に苦しんでいるか、そして、究極においてどのようなものを具体的に求めているかを、しっかりと、掴んでみたいということであり、これによって、この小さい自分自身の生活の方向づけを一つしてみようというのである。
これは実に容易ならぬ願望であるが、幸い家族の者が喜んで協力してくれるので全く遅々としてではあるが、豊かな気持ちで遥か行くてを楽しんでいるというところである。

今、世は挙げて不信と対立、混迷と焦燥をつづけており、闘争、冷酷、共食いと、これが世界を根深く支配している思想、政治、経済の近代的性格であるが、これはこれで、一部論者のいう如く、大きく史的発展を遂げんとする人類が、必然的に当面せねばならぬものと、一応解釈してみても、果たして次にいかなるものが約束されているであろうか。
抽象的に何かは描かれているようであるが、無論、漠然としたもので、これは未来に属することとして、霧中の彼方におかれているのはどうしたものか。
過去と現在を余すところなく的確に科学したものなら、来るべきものも明確に、具体的に示されるのでなければ、その真理性を信ずるのに躊躇を覚える。
さらばというて資本が物を清算するという方式によってのみが、人間の自由を保障するという考え方の過誤、行きすぎも、身をもって体験したことで、あまりに苦いものであった。自由を求めて不自由となり、開放を叫んで鉄柵をつくるの愚というても、なお、足らぬ思いのする生々しき現実相ではある。
しかし、時流に縋る以外に生きる道を失った大衆、大勢は、滔々として地球線上をおなじ坩堝と化さずんば止まぬものの如く、人間史の汚辱もまた極まるというのは筆者一人の感であろうか。
十億光年の彼方の青雲を測定し原子構造を解析する人間が人間自身を知らず、その外へばかり向けた眼、知恵でつくったもので自分が苦しみ、自己を破壊へ破壊へともって行く。 笑えぬナンセンス、世紀の悲劇というの他はない。

ちょっと、二三行をと思っていてうかうかと柄にもなく時運を嘆いてみたが、これはここでは余事である。浩瀚、世界文化史大系を成したウェルズをして晩年、"人類に絶望す"とまでいわしめ、ついに悶死させたという一事を想起すれば足りることである。

そこでまた自分の足許へ戻ってみる。
終戦直後、この山へ入ったのは今から考えてみて、全く本能的なものであった。この本能的なものの中に無限の感慨を覚え喜んでいるのであるが、こうなってみて、かつて気づかなかった一つの拾いものをしたことを特記しなければならぬ。

それは他でもない、自然観の再認識とでもいうてみたいものである。
詩人の歌った自然、宗教家の体験した自然、科学者の究明した自然、ともに美しく尊いもの、あるいは真理といわれるが如きものも、かつて、我々は多くこの中から教わった。ところがなんぞ計らんその自然、大自然と自分が一つのものであったということである。
自然と自分、人間が別物でないという、この判りきった事実を再認識したという筆者を心ある人は笑われるかも知れぬ。しかし致し方がない。自分は今まで自然というものを無意識のうちに客体視して、それから離れ、幽霊の如く、宙に浮いていたものであったことを正直に告白しなければならぬ。
自然と自分は一つであると、この極めて平凡な、今更いうてみるのもおろかしきこの言葉のもつ内容が、生活的に、今の人間社会に失われているところに、何よりも第一の不幸がある。

これについてはいずれ稿をあらためることとして、ここにとりあえず強く提唱しておきたいことがある。それは他でもなく、この四つの島、狭められた国土に、総人口の約半数を占めるといわれる、世界にも類例少なき小農である。
いわゆる、世の進歩的指導者と呼ばれる人達によれば、これが一番日本の社会を近代化させる上において邪魔物であるといわれているが、筆者はまた別にみるところがあって、逆に、これこそ将来日本の顔となるものであり、大きくは世界の文運に対してなんらかの挨拶をするものであると確信している。
これは現在の世界を支配している思想、政治、経済の眼をもってしては、到底、見うるような軽々しい価値のものではない。
長い過去、いつの場合でも支配され、指導され、被治者的存在として、己も知らず他も知らずで過ごしてきたのであるが、一つの生活体としてこれだけは、今の世に毒されぬ処女性をもったものであり、次代を決定する人間文化を孕みかつ産むであろう生理を秘めて、未だお白粉気も知らぬのがこの小農である。問題はそれへの自覚であり、時代を追うての成長である。 

何か、創刊の辞をということで筆をとってみたが、もともと他に読んで頂き、研究してもらうような理論を考えている訳でもなく、どうした行きがかりか、時代苦、生きた人生道とでもいうようなものに、大袈裟にいえば一家をあげて体をかけているというだけのこと、そこで書くとなれば自然と、この眼でみる社会相、そしてこれへの在り方としての自分の身辺からというようになって妙な感じ、いささか憚りを思わぬでもないが許してもらうより他はない。

なんというても世界は、人類史を画するほどの転換期に立っている。今までの頭で見当のつくような簡単なものではない。いかに大きくみえても実体を知れば愚にもつかぬ人さわがせのものがあり、そうかと思うと、些細なことで決して見逃してはならぬ貴重なものもある。
近視眼的なものを去って、遠くを慮りつつ、刻々に手近なものから決定して行かねばならぬ時、心ある方達の切なる要望でこんなものが出ることになった。

ここ数回は責任もあり、少しいばって自分も書かせて頂くがゆくゆくは、会員の方達、ことに若い人達がご自分のものとして、奮って筆をとるようにしてお互いに磨き合いつつ、当面に処し、次代を背負うの具にして頂ければ何より有難いと思う。

(昭和27年3月執筆)