その仕事場を整理し始めました。
綺麗に整理し、土地を地主さんにお返しし、
その後は、朝市が開かれたりして町の人々や旅行者が集う交流の場を生み出せたら良いなと思っています。
デンマークのコペンハーゲンや、ドイツのフライブルクで体験したような素朴で暖かみのあるつながりの場を。
ベトナムのカマウや、カンボジアのシェムリアップで体験したような井戸端会議ができる生活の場を。
「終わりより始まる」
敬愛する松井浄蓮師の著書名なのですが、
数日間お世話になった陶芸家の方のお宅から戻った後、
会話に出てきた河井寛次郎氏の人となりに少し触れられるかもしれない、
と久しぶりに通した目に入ってきたのが
「松井先生はすべて終わりよりおはじめになるお方」という河井寛次郎氏の言葉。
お世話になった陶芸家の方に言われた「どう死にたいかは、どう生きたいかなのよね」という言葉が重なり、あぁこういうことなのだろうかと思いました。
「解体」は周りから見れば、殺しであり、清算であるかもしれません。
母屋の、道具箱がひっくり返ったように溢れていた物と物と物、消費が美徳であった時代の映し鏡のような状態を変えるのは、「捨てる」という行為。
はたから見れば、大変な仕事、厄介。
だけど続けた後に見えてきたのは、物が本来もっていた価値。
解体や整理は単なる殺しではなく、蘇生だと思う。
物の生き返らし。
厄介物として見て見ぬふりされてきた物の、蘇生への感謝の殺し。
増え過ぎた不要物である欲の化身を殺すことで、必要な一個の物が蘇る。
そういった行為を始めたことでつながった縁もある。
終わっているだけじゃなく、始まってもいる現在。
騒がしく、ほこりも多い作業を「お互い様」「無理しんときや」と言ってくれる近所の方々に感謝。
二日間ほど金属回収業者の方が入ってくださったので、大分すっきりした状態からblog投稿スタートです。
今日は土壁の崩しを行う前の屋内整理を始めました。
後々ロケットマスヒーター用に使う薪や、捨てるにはしのびない板ガラスを保管する小屋を作るのに使えそうな材木の運び出しです。
正面 |
西側 |
落ちているビニールひもも捨てずに置いておきます。
ダンボールとかまとめるのに使えるので。
家庭ゴミで出せそうな物は分別してゴミ袋へ。
明日はありがたいことに可燃ゴミ。
明日はありがたいことに可燃ゴミ。
これはなんだろう?と思うものもしばしば出てきます。
クロスの切れ端でした。小屋の壁材にしようかと |
セクシーな柱 |
ロケットストーブに使えるかも |
作業中、頭上からバキバキと音がするので、
「なんだ?なんだ?」と亀吉くんの「お茶だ!お茶だー!」という感じで外に出たら
妻が屋根の上で柿を獲ってました。
いやー、流石日本人も外国人もいないベトナムの田舎で2年暮らしてらしたことはある。たくましい。
トタン剥ぐ時に屋根登るの怖いなあと思っていたぼくを尻目に「柿だ!柿だー!」とばかりに匠の高枝切りハサミ。
上が変われば下も変わるとは思わないけど、日本も女性首相になればもう少し利口にたくましくなれるのかもとつくづく思ってしまいました。
メルケル首相しかり、経産省前テントの女性達をはじめとした原発事故後に目立つ女性達の強さ、賢さ、覚悟に行動力。
けっこうスッキリしました。
よくわからないかも知れませんがけっこうスッキリしました。
スッキリしましたよ。
母屋の前に置いている花壇に、先日懇意にして下さっているご住職から届いた手紙に同梱されていた原発学習のチラシを置きました。
田舎という静かな水面に小石を投げ込み続けます。
母屋も老若男女、障害のあるなしに関わらず、国境も越えて人が集う場にしたいです。
「立ち寄り処 とまり木」という名前にしようかな。
目的や制作過程は別ブログで記していこうと思います。
妻が育ったハカラメを小さな鉢に入れてくれました。
そしたらそれがまたかわいいじゃありませんか。
売ってます |