2012年10月16日火曜日

終わりと始まりは一体

今日は一番の山場である引き倒しを行いました。
本当にどうなるもんかとヒヤヒヤしましたが、大きな事故も怪我人もなく終えることができました。
協力してくださった人達のおかげです。
最後まで立派に建っていた家にも守られました。

ただ二点、作業の影響でお隣さんの玄関の大理石が外れてしまったことと、
作業者の運転ミスでお向かいさんの玄関階段を少し破損してしまったことが申し訳なくてなりません。
埃や騒音はある程度はいたしかたないとしても、
この二点は不注意と不手際であり、防げたことだと思うので非常に残念です。
今後も解体は続きますが、まず壊してしまったところの修理から行ってもらえるようお願いすることから明日は始めます。


当初はチルクを用い手動で引き倒す算段だったのですが、
安全も考えトラックで引くことになりました。


言われていたようには簡単にはいかず、何度も試しながらおこないました。

柱が一本はずれ、二本はずれしても、建つ姿に感心しました。
見た目はボロくてもまだまだ家としての機能はあったのでしょう。
だけど、使わなければ物も死ぬように、家も死に、逝くにも逝けない罪深い姿になっていました。
人が死と向き合わないと歪むように、物も終わりを見ようとしなければ同じく間違った方向にいってしまうと思います。
終わりを見ない選択、見て見ぬふりの選択、放射性廃棄物とそもそも原発を動かすには必然と生じる被曝労働者の存在に蓋をする選択。
全てにおいて責任がとれる生き方は果てしなく難しいけれど、
もう少し責任感ある生き方は出来るのではないかと思う。

水もたっぷりまいていたのでそれほど埃も立つことなく倒せました。


廃材をプラントへ運び戻ってくると、トタン剥がしが始まっていました。
ちなみに材木の回収は軽トラが1,000円(純木)、1トン以上は7,000円でした。

剥がしおわり
何年この場所に建っていたのでしょう。
昭和の半ばは7人くらい雇って賑やかに商いしていたそうです。
ぼくもここで作られた建具に育てられた一人です。
その現実を無視して、ただの使い道のない始末によわる存在扱いとすることはしたくありません。

長らく大勢の人を支えてくれてありがとうございました。
お疲れ様でした。

終わりを迎えるということは本当に大切なことだと思います。